2005年 03月 20日
参加型に対する疑問:媒体の形はどうなるのか |
ブログから情報を得ることに慣れてくると、ブログはこれまでの媒体(メディア)とは異なる形のものであることが分かってくる。これまでの媒体は、新聞にしろメールマガジンにしろ、それぞれが1つの媒体として完結していた。ところが1つのブログは、1つの媒体として完結していないものがほとんどだ。
例えばこのブログ「ネットは新聞を殺すのかblog」は参加型ジャーナリズムをテーマにしているが、こうしたテーマを絞ったブログというものは非常に珍しい。ありとあらゆるテーマを取り上げるというブログのほうがむしろ一般的だ。
そこで読者は1つの問題に興味があると、検索エンジンを使ってその問題に言及しているブログのエントリーを見つけてくる。最初に見つけてきた興味深いエントリーをAとしよう。読者は、そのエントリーAがリンクを張っている別のブログのエノトリーBや、エントリーAにトラックバックを送っている別ブログのエントリーC、別ブログのエントリーD、別ブログのエントリーEをすべて読んでまわる。こうしたA、B、C、D、Eというエントリーが、この読者にとって1つの媒体ということになる。
「ガ島通信」さんの「さよなら新聞」というエントリーには53のトラックバックがついている。「さよなら新聞」というエントリーに大きな興味を覚えた読者は、これらのトラックバックのエントリーをすべて読んで回ったことだろう。その読者にとって「さよなら新聞」というエントリーに加え、トラックバックを送ってきた53のエントリーが合わさって「1つの媒体」になっているわけだ。
このエントリーの連合体である「媒体」の特徴の1つは、ネット上に拡散していること。これまでの媒体が1カ所に情報を集中させているとは対照的だ。
2つ目の特徴は、この「媒体」は時間とともに情報が増える、ということ。これまでの媒体は、発行されたり、放送された時点で一応完結する形になっている。
ニュースサイトにしろ、広告、マーケティングにしろ、こうした「媒体」の特徴を理解した上でビジネスモデルを構築しなければならない時代になってきている。
こうした新しい媒体の特徴を、MasahikoSatoh.comさんが「ブログメディアの構造私論」としてまとめている。非常に興味深い内容になっている。
例えばこのブログ「ネットは新聞を殺すのかblog」は参加型ジャーナリズムをテーマにしているが、こうしたテーマを絞ったブログというものは非常に珍しい。ありとあらゆるテーマを取り上げるというブログのほうがむしろ一般的だ。
そこで読者は1つの問題に興味があると、検索エンジンを使ってその問題に言及しているブログのエントリーを見つけてくる。最初に見つけてきた興味深いエントリーをAとしよう。読者は、そのエントリーAがリンクを張っている別のブログのエノトリーBや、エントリーAにトラックバックを送っている別ブログのエントリーC、別ブログのエントリーD、別ブログのエントリーEをすべて読んでまわる。こうしたA、B、C、D、Eというエントリーが、この読者にとって1つの媒体ということになる。
「ガ島通信」さんの「さよなら新聞」というエントリーには53のトラックバックがついている。「さよなら新聞」というエントリーに大きな興味を覚えた読者は、これらのトラックバックのエントリーをすべて読んで回ったことだろう。その読者にとって「さよなら新聞」というエントリーに加え、トラックバックを送ってきた53のエントリーが合わさって「1つの媒体」になっているわけだ。
このエントリーの連合体である「媒体」の特徴の1つは、ネット上に拡散していること。これまでの媒体が1カ所に情報を集中させているとは対照的だ。
2つ目の特徴は、この「媒体」は時間とともに情報が増える、ということ。これまでの媒体は、発行されたり、放送された時点で一応完結する形になっている。
ニュースサイトにしろ、広告、マーケティングにしろ、こうした「媒体」の特徴を理解した上でビジネスモデルを構築しなければならない時代になってきている。
こうした新しい媒体の特徴を、MasahikoSatoh.comさんが「ブログメディアの構造私論」としてまとめている。非常に興味深い内容になっている。
by tsuruaki_yukawa
| 2005-03-20 21:57