2005年 03月 29日
ライブドアPJニュースについて |
ライブドアの報道部門、特にパブリックジャーナリストの活動について意見を求められることが最近多くなった。コメント欄に少し意見を書いたが、わたしの考えを改めてここで表明したい。
わたしは、ライブドアの報道部門が目指すパブリックジャーナリズム(PJ)という方向性には賛成である。これからのジャーナリズムには一般市民が参加するだろうし、すべきだと思う。それがどういう形になるのかは分からないが、この方向に向かって果敢に挑戦する企業、個人に対しては積極的に応援したいと思っている。
それとは別に、ライブドアPJの現状に対する批判があることも知っている。記事の質が悪いとか、主張が偏っている、とかいう批判だ。
こうした批判に対して、わたしは今のところ論評を控えたいと思っている。その理由は、ライブドアPJがまだまだ発展途上だからだ。
わたしはこれまでライブドアPJの関係者を何度か取材してきた。その内容はこのブログでも公表してきたが、彼らは韓国オーマイニュースの単なる物真似ではなく、日本に合った参加型ジャーナリスムの形を模索している。今後有力ブロガーをライブドアPJの枠組みの中に取り込むことも検討しているようだし、スカイプなどの新しいコミュニケーションツールを使った双方向の仕組みも検討しているようだ。
昨年秋のスタート前の段階の取材では、関係者はこうした独自の仕組みを取り入れた本格的体制が固まるのが今年夏以降になると考えているようだった。その後も試行錯誤が続き、新しい報道の形を確立したと胸を張れるようになるまで3年はかかる、と考える関係者もいた。
つまり関係者自身がまだまだ発展途上であることを認識している段階で、論評しても仕方がないと思うわけだ。
参加型ジャーナリズムの中で、記事の質にはばらつきが当然出てくると思う。個々の主張が偏向することも当然ある。しかし記事や主張の数が増えてくる中で、全体としてある程度のバランスが保たれてくるものだと思う。
韓国オーマイニュースに登録している市民記者の総数は3万数千人。一日数百本の記事が市民記者から送られてくる。翻ってライブドアPJの登録市民記者はまだまだけた違いに少ない。一日の掲載記事数は、3本前後。質や主張に問題があるのは当然だと思う。
2、3年たっても市民記者の数や記事の数がまったく増えなかったり、質が向上されないのであれば、そのときに初めて批判しようと思う。
またホリエモンの人格や発言を理由にライブドアPJを切って捨てるような考え方にも、賛同できない。既存メディアの中にも、人格や発言に問題のあるトップを抱えている社があるではないか。
実際に成功するのは困難かもしれない。志半ばで倒れる可能性も大きいと思う。でもわたしは、前人未踏の地を果敢に切り開こうとする者を最初から冷笑するような人間にはなりたくないと思っている。
わたしは、ライブドアの報道部門が目指すパブリックジャーナリズム(PJ)という方向性には賛成である。これからのジャーナリズムには一般市民が参加するだろうし、すべきだと思う。それがどういう形になるのかは分からないが、この方向に向かって果敢に挑戦する企業、個人に対しては積極的に応援したいと思っている。
それとは別に、ライブドアPJの現状に対する批判があることも知っている。記事の質が悪いとか、主張が偏っている、とかいう批判だ。
こうした批判に対して、わたしは今のところ論評を控えたいと思っている。その理由は、ライブドアPJがまだまだ発展途上だからだ。
わたしはこれまでライブドアPJの関係者を何度か取材してきた。その内容はこのブログでも公表してきたが、彼らは韓国オーマイニュースの単なる物真似ではなく、日本に合った参加型ジャーナリスムの形を模索している。今後有力ブロガーをライブドアPJの枠組みの中に取り込むことも検討しているようだし、スカイプなどの新しいコミュニケーションツールを使った双方向の仕組みも検討しているようだ。
昨年秋のスタート前の段階の取材では、関係者はこうした独自の仕組みを取り入れた本格的体制が固まるのが今年夏以降になると考えているようだった。その後も試行錯誤が続き、新しい報道の形を確立したと胸を張れるようになるまで3年はかかる、と考える関係者もいた。
つまり関係者自身がまだまだ発展途上であることを認識している段階で、論評しても仕方がないと思うわけだ。
参加型ジャーナリズムの中で、記事の質にはばらつきが当然出てくると思う。個々の主張が偏向することも当然ある。しかし記事や主張の数が増えてくる中で、全体としてある程度のバランスが保たれてくるものだと思う。
韓国オーマイニュースに登録している市民記者の総数は3万数千人。一日数百本の記事が市民記者から送られてくる。翻ってライブドアPJの登録市民記者はまだまだけた違いに少ない。一日の掲載記事数は、3本前後。質や主張に問題があるのは当然だと思う。
2、3年たっても市民記者の数や記事の数がまったく増えなかったり、質が向上されないのであれば、そのときに初めて批判しようと思う。
またホリエモンの人格や発言を理由にライブドアPJを切って捨てるような考え方にも、賛同できない。既存メディアの中にも、人格や発言に問題のあるトップを抱えている社があるではないか。
実際に成功するのは困難かもしれない。志半ばで倒れる可能性も大きいと思う。でもわたしは、前人未踏の地を果敢に切り開こうとする者を最初から冷笑するような人間にはなりたくないと思っている。
by tsuruaki_yukawa
| 2005-03-29 08:02