2005年 04月 17日
備忘録 |
自分向けメモ
テサラックのあいださんの「参加型ジャーナリズムの主役は…」。
もう一つ、Proving grounds of the mad over logsさんの「情報の確からしさと脳内演算量」。
テサラックのあいださんの「参加型ジャーナリズムの主役は…」。
しかしながら、既存の参加型ジャーナリズムには2つの問題点があります。1つはメディア側が選んだ市民であるということ。2つ目は、その意見が編集者の目を経由して公開される(テレビの生放送はこの限りではないかもしれませんが…)ということ。とすれば、このメディア側が設けたルールの下での市民参加型は既に存在する、ということができるのかもしれません。でも、穿った見方をすれば、メディア側の演出のように見えてしまいます。
これに対し、ネット上で語られる参加型ジャーナリズムは、上記の2つの制約がありません。誰が書きこんでもいいし、匿名でOK。いわゆるオープン参加です。さらに、編集者の目を経由することもなく、ストレートにHP上に反映される。だからこそ、マイノリティの意見が表に出てくるわけですが、変わりに誹謗中傷など心無いコメントやエントリーも出てくる、ということなのでしょう。そう考えると、たくさんの市民が、良心とか自己責任とかいう意識の下で、自由に、多くの視点から論議を交わす姿こそ、理想的なオープンソーススタイルのジャーナリズムだということになります。そして、その理想的スタイルを現実のものにするより高い可能性を秘めているのが、今のところネットを介するスタイルだということなのでしょうか。少なくとも、既存メディアがこれまでやってきたモノよりは、本来あるべき参加型ジャーナリズムに近づくのでは、と思います。
もう一つ、Proving grounds of the mad over logsさんの「情報の確からしさと脳内演算量」。
では、long tailの部分がマスではないので、重要でないかというと、そうではなく、むしろ逆である。long tailの部分は「確からしさ」の確立のために多大なコストがかかるが、それは徹底的にコストをかけたい人々が担うということを意味する。つまり脳内演算量を上げることにより、質の向上を目指すという方向であり、ジャーナリズム本来の意義を考えると、それこそが正しい態度と言える。
まとめると、以下のとおり。
* 読者として「大衆」を仮定するなら、省脳力。
* 省脳力ならコミュニティ。
* 一般のブログはlong tailであり、それは省脳力ではない。だけどむしろ重要。
by tsuruaki_yukawa
| 2005-04-17 07:07