2005年 07月 21日
日本に合った参加型ジャーナリズムの形とは |
ずいぶん前のエントリーで、米国型のブログジャーナリズムも、韓国型の市民記者ジャーナリズムも日本には根付かないのではないか、と書いた。「では日本の21世紀型のジャーナリズムはどのようなものになる可能性があるのだろうか。別のエントリーで考えてみたい。」と書いたのはいいのだが、もう2カ月近くもその「別のエントリー」をあげていない。書きたいことは決まっていたのだが、なぜだか書く気になれなかった。多分そのことを書いてしまうと、もうこのブログの結論が出たみたいな感じになってブログを継続する意味を見失う気がしていたのかもしれない。
だが自分の考えは、直接会った人には話してきたし、藤代さんや高田さんとの対談本(9月ごろ発売予定)の中でも触れた。昨夜はスポンタ中村さんと会って、やはり自分の考えを述べた。そのことをスポンタさんが、ご自分のブログに書かれた。やはりもうそろそろこのブログ上で自分の考えを発表しなければならないのかもしれない。
なぜ米国型や韓国型の参加型ジャーナリズムが日本に根付かないのかは、既に書いた。ライブドアPJやJANJANを見ていると、社会に対して大きな影響力を持つまでにいたらないのではないかという気がするのと、ブログのほうも専門家ブログというものが期待していたほど出てこないからだ。
では日本では参加型ジャーナリズムは起こらないのか。国民はサイレントピープルであり続けるのか、というと、そんなことはないと思う。ネットという情報発信ツールを得たのだから、そこから社会を変えるような言論や活動が必然的に生まれてくるのだと確信している。
いまわたしが期待しているのが、NPOやNGOだ。もともとNPOやNGOは社会をよくしたいと思う人たちの集まりだ。そういう人たちは自分たちの主張を社会に広く伝えたいと思っている。ところが今までは主張を広く伝えるためのツールがなかった。ホームページを構築、運営が大変だし・・・。ところがブログなら簡単に情報発信ができる。これからNPO、NGOのブログがどんどん出てくるのではないかと思う。
日本最大級の非営利団体である日本財団は、ホームページ「canpan」にコミュニティー機能を搭載した。ブログホスティングにも乗り出し、国内のNPO、NGOに無料でブログを利用できる環境を提供する考えだ。寄付金などの審査にブログを利用しようという計画も進んでいるようだ。
寄付したくてもどこのNPO、NGOに寄付すれば分からない、という人もいるかと思う。ホームページを持っているNPOがあったとしても、そこにはいいことしか書かれていないし、どの程度真剣に活動しているのかはなかなか分からない。ところがブログだと、日記のように日々の活動の様子が手に取るように分かる。過去記事まで読んでいくと、そのNPOがどの程度の活動をやっているか、本当のところがつかめるはずだ。NPO、NGOにしても寄付金を得るために、真剣にブログを日々更新するなるのではなかろうか。そこには当然「社会を変えたい」という思いが記される。それはまさに参加型ジャーナリズムの1つの形だと思う。
もともとジャーナリズムとアクティビズムは1つだったはずだ。社会運動家がジャーナリスティックな言論活動をしていた。ところが20世紀になりマスメディアがジャーナリズムを独占してしまった。それがネットの登場で、ジャーナリズムが再びアクティビズムと1つになろうとしているのだと思う。
NGO、NPO以外にも参加型ジャーナリズムは発展していくと思う。身の回りのささいなことでもいいから、社会を変えたいという思いをブログに書いていく。そして横の連携を築きやすいというブログの特徴を生かして、同じ思いのブログがつながって、1つの運動を形成していく。それだって立派なジャーナリズムだと思う。1つ1つは小さな記事でも数が集まることで、マスメディア以上に社会を変える原動力になるのではなかろうか。
韓国のブログジャーナリズムや韓国の市民記者ジャーナリズムも、実は参加型ジャーナリズムの過渡期の姿ではないかと思う。既存メディアの形に近いものを作るほうが多くの人の理解を得やすいから、そういう形を取っているだけのような気がする。いずれはジャーナリストぽくないブロガー、ニュースサイトぽくないサイトが、ジャーナリズムとアクティビズムの両方を実践するようになるのではないか。
今はそんなような気がしている。
だが自分の考えは、直接会った人には話してきたし、藤代さんや高田さんとの対談本(9月ごろ発売予定)の中でも触れた。昨夜はスポンタ中村さんと会って、やはり自分の考えを述べた。そのことをスポンタさんが、ご自分のブログに書かれた。やはりもうそろそろこのブログ上で自分の考えを発表しなければならないのかもしれない。
なぜ米国型や韓国型の参加型ジャーナリズムが日本に根付かないのかは、既に書いた。ライブドアPJやJANJANを見ていると、社会に対して大きな影響力を持つまでにいたらないのではないかという気がするのと、ブログのほうも専門家ブログというものが期待していたほど出てこないからだ。
では日本では参加型ジャーナリズムは起こらないのか。国民はサイレントピープルであり続けるのか、というと、そんなことはないと思う。ネットという情報発信ツールを得たのだから、そこから社会を変えるような言論や活動が必然的に生まれてくるのだと確信している。
いまわたしが期待しているのが、NPOやNGOだ。もともとNPOやNGOは社会をよくしたいと思う人たちの集まりだ。そういう人たちは自分たちの主張を社会に広く伝えたいと思っている。ところが今までは主張を広く伝えるためのツールがなかった。ホームページを構築、運営が大変だし・・・。ところがブログなら簡単に情報発信ができる。これからNPO、NGOのブログがどんどん出てくるのではないかと思う。
日本最大級の非営利団体である日本財団は、ホームページ「canpan」にコミュニティー機能を搭載した。ブログホスティングにも乗り出し、国内のNPO、NGOに無料でブログを利用できる環境を提供する考えだ。寄付金などの審査にブログを利用しようという計画も進んでいるようだ。
寄付したくてもどこのNPO、NGOに寄付すれば分からない、という人もいるかと思う。ホームページを持っているNPOがあったとしても、そこにはいいことしか書かれていないし、どの程度真剣に活動しているのかはなかなか分からない。ところがブログだと、日記のように日々の活動の様子が手に取るように分かる。過去記事まで読んでいくと、そのNPOがどの程度の活動をやっているか、本当のところがつかめるはずだ。NPO、NGOにしても寄付金を得るために、真剣にブログを日々更新するなるのではなかろうか。そこには当然「社会を変えたい」という思いが記される。それはまさに参加型ジャーナリズムの1つの形だと思う。
もともとジャーナリズムとアクティビズムは1つだったはずだ。社会運動家がジャーナリスティックな言論活動をしていた。ところが20世紀になりマスメディアがジャーナリズムを独占してしまった。それがネットの登場で、ジャーナリズムが再びアクティビズムと1つになろうとしているのだと思う。
NGO、NPO以外にも参加型ジャーナリズムは発展していくと思う。身の回りのささいなことでもいいから、社会を変えたいという思いをブログに書いていく。そして横の連携を築きやすいというブログの特徴を生かして、同じ思いのブログがつながって、1つの運動を形成していく。それだって立派なジャーナリズムだと思う。1つ1つは小さな記事でも数が集まることで、マスメディア以上に社会を変える原動力になるのではなかろうか。
韓国のブログジャーナリズムや韓国の市民記者ジャーナリズムも、実は参加型ジャーナリズムの過渡期の姿ではないかと思う。既存メディアの形に近いものを作るほうが多くの人の理解を得やすいから、そういう形を取っているだけのような気がする。いずれはジャーナリストぽくないブロガー、ニュースサイトぽくないサイトが、ジャーナリズムとアクティビズムの両方を実践するようになるのではないか。
今はそんなような気がしている。
by tsuruaki_yukawa
| 2005-07-21 17:28