2005年 07月 26日
ネットと放送の融合 |
ライブドアによるニッポン放送買収をきっかけに、ネットと放送は融合するのだろうかという議論が起こった。「当然融合する」と主張する人もいたし、「融合は非常に困難」と考える人もいた。
正反対の意見のように聞こえるが、よくよく両方の主張を聞いてみると、「ここ1、2年で融合することはないかもしれないが、最終的には必ず融合する」という意見と「遠い将来のことは分からないが、ここ1、2年で融合することなどありえない」という意見が衝突しているだけだったりする。つまり焦点を短期的未来に置くか、長期的未来に置くかの違いだけで、言っているはどちらも「短期的未来の融合の可能性は低いが、長期的には融合の可能性は否定できない」ということだと思う。
こうした技術に関連した未来予測をする上で、わたしはある1つの手法が有効なのではないかと思って実践している。それは、まず究極の形を想定した上で、それに向かう技術革新の道のりの中での現時点を認識し、2、3年後の姿を予測するという手法だ。
それではこの手法を使ってネットと放送の融合の究極の姿を想定してみよう。
ネットの情報の流れは「多」から「多」への「双方向」である。放送は、「1」から「多」への「一方向」。「多対多の双方向」のレールの上に「1対多の一方向」の電車を走らせることは可能だが、「1対多の一方向」のレールの上に「多対多の双方向」の電車を走らせることはできない。そういう意味で、いずれ放送がネットの一部になるというのが究極の姿だろう。
ではなぜまだその究極の姿に達していないのか。1つにはネット回線が世界のすみずみにまでまだ敷設されていないから。敷設コストもバカにならない。一方向で情報を伝達するだけなら、放送のほうがコストが低い。
それに情報を受け取るための一般的機器としてネットの場合はパソコンということになるが、パソコンは多くの人にとってまだまだ非常に使い勝手が悪い。テレビ並みの使い勝手を実現しない限り、ネットとパソコンの組み合わせが一般的な情報取得手段にはならないだろう。
こうした課題を抱えているため、今後は視聴者の要望するサービスを実現するために、そのときどきの最もコストパーフォーマンスよく使い勝手のいい融合の形が模索されることになる。光ファイバー回線、CATV回線、電話回線、放送用電波、無線LAN・・・。放送なのか、ネットなのかと、二者択一にこだわる必要などない。情報伝達手段をうまく組み合わせて新しいサービスを提供していけばいいだけのことだ。
恐らくブロードバンド回線につながったパソコン、ブロードバンド回線につながったテレビ、電波を受信するテレビ、の映像視聴の3形態が併存することになるのだろう。情報に敏感な人や若者は、ブロードバンド回線につながったパソコン。情報に敏感でない人は電波を受信するテレビ。その中間層は、ブロードバンド回線につながったテレビを主に利用するのではなかろうか。ネットと放送の融合の斬新な試みは、まずブロードバンド回線につながったパソコンで行われ、結果次第で他の視聴形態にもやがて普及することになるのだろう。
それではネットと放送が融合に向かう中で、どのような具体的サービスが可能になるのだろうか。次回のエントリーで考えてみたい。
著者注:ようやく次の本の執筆に取り掛かりました。できたものからアップしていきます。間違いの指摘やご意見をいただければ幸いです。
追記:
次のように変更してみました。
ライブドアによるニッポン放送買収をきっかけに、通信は放送を飲み込むのだろうかという議論が起こった。「放送は当然通信の一部になる」と主張する人もいたし、「ネットと放送は文化が違う。1つになるのは困難」と考える人もいた。
正反対の意見のように聞こえるが、よくよく両方の主張を聞いてみると、「ここ1、2年で放送が通信に取り込まれることはないかもしれないが、最終的には放送は必ず通信の一部になる」という意見と「遠い将来のことは分からないが、ここ1、2年で放送が通信の一部になることなどありえない」という意見が衝突しているだけだったりする。つまり焦点を短期的未来に置くか、長期的未来に置くかの違いだけで、言っているはどちらも「短期的未来に放送が通信の一部になることはないが、長期的にはその可能性は否定できない」ということだと思う。
このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。
正反対の意見のように聞こえるが、よくよく両方の主張を聞いてみると、「ここ1、2年で融合することはないかもしれないが、最終的には必ず融合する」という意見と「遠い将来のことは分からないが、ここ1、2年で融合することなどありえない」という意見が衝突しているだけだったりする。つまり焦点を短期的未来に置くか、長期的未来に置くかの違いだけで、言っているはどちらも「短期的未来の融合の可能性は低いが、長期的には融合の可能性は否定できない」ということだと思う。
こうした技術に関連した未来予測をする上で、わたしはある1つの手法が有効なのではないかと思って実践している。それは、まず究極の形を想定した上で、それに向かう技術革新の道のりの中での現時点を認識し、2、3年後の姿を予測するという手法だ。
それではこの手法を使ってネットと放送の融合の究極の姿を想定してみよう。
ネットの情報の流れは「多」から「多」への「双方向」である。放送は、「1」から「多」への「一方向」。「多対多の双方向」のレールの上に「1対多の一方向」の電車を走らせることは可能だが、「1対多の一方向」のレールの上に「多対多の双方向」の電車を走らせることはできない。そういう意味で、いずれ放送がネットの一部になるというのが究極の姿だろう。
ではなぜまだその究極の姿に達していないのか。1つにはネット回線が世界のすみずみにまでまだ敷設されていないから。敷設コストもバカにならない。一方向で情報を伝達するだけなら、放送のほうがコストが低い。
それに情報を受け取るための一般的機器としてネットの場合はパソコンということになるが、パソコンは多くの人にとってまだまだ非常に使い勝手が悪い。テレビ並みの使い勝手を実現しない限り、ネットとパソコンの組み合わせが一般的な情報取得手段にはならないだろう。
こうした課題を抱えているため、今後は視聴者の要望するサービスを実現するために、そのときどきの最もコストパーフォーマンスよく使い勝手のいい融合の形が模索されることになる。光ファイバー回線、CATV回線、電話回線、放送用電波、無線LAN・・・。放送なのか、ネットなのかと、二者択一にこだわる必要などない。情報伝達手段をうまく組み合わせて新しいサービスを提供していけばいいだけのことだ。
恐らくブロードバンド回線につながったパソコン、ブロードバンド回線につながったテレビ、電波を受信するテレビ、の映像視聴の3形態が併存することになるのだろう。情報に敏感な人や若者は、ブロードバンド回線につながったパソコン。情報に敏感でない人は電波を受信するテレビ。その中間層は、ブロードバンド回線につながったテレビを主に利用するのではなかろうか。ネットと放送の融合の斬新な試みは、まずブロードバンド回線につながったパソコンで行われ、結果次第で他の視聴形態にもやがて普及することになるのだろう。
それではネットと放送が融合に向かう中で、どのような具体的サービスが可能になるのだろうか。次回のエントリーで考えてみたい。
著者注:ようやく次の本の執筆に取り掛かりました。できたものからアップしていきます。間違いの指摘やご意見をいただければ幸いです。
追記:
次のように変更してみました。
ライブドアによるニッポン放送買収をきっかけに、通信は放送を飲み込むのだろうかという議論が起こった。「放送は当然通信の一部になる」と主張する人もいたし、「ネットと放送は文化が違う。1つになるのは困難」と考える人もいた。
正反対の意見のように聞こえるが、よくよく両方の主張を聞いてみると、「ここ1、2年で放送が通信に取り込まれることはないかもしれないが、最終的には放送は必ず通信の一部になる」という意見と「遠い将来のことは分からないが、ここ1、2年で放送が通信の一部になることなどありえない」という意見が衝突しているだけだったりする。つまり焦点を短期的未来に置くか、長期的未来に置くかの違いだけで、言っているはどちらも「短期的未来に放送が通信の一部になることはないが、長期的にはその可能性は否定できない」ということだと思う。
このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。
by tsuruaki_yukawa
| 2005-07-26 08:19
| 本の原稿