2005年 07月 27日
逆から読むテレビの近未来像 |
それではネットと放送が融合に向かう中で、どのような具体的サービスが可能になるのだろうか。これもまず究極の姿から考えてみよう。技術革新が可能にするサービスの究極の姿を想定することは、実はそれほど難しいことではない。なぜなら時間的な制約を課さずに、何世紀後に実現してもいいという条件なら、技術革新は多くの人の望むサービスを実現すると考えてまず間違いないからだ。とはいうものの、実際に実現するかどうか何世紀も生きれるわけではないので、確実にはわからない。分からないが、多くの人の夢をかなえようとする技術革新は、たゆむことなく続くだろう。この方向性だけは間違いのない事実である。方向性が定まれば、現状を認識することで少し先の未来を読むことができるのではないか、というのがわたしの未来予測の手法である。一番遠い未来をまず予測してから近未来を予測するというやり方だ。近未来を予測してから遠い未来を予測しようとするやり方があるが、これとは逆の方法だ。
近未来から予測すると、技術をベースにした予測になりがちだ。「こんな技術が登場したので、どのようなサービスが可能になるのだろうか」という問いをベースにした予測になる。この方法だと、直近のサービスを予測できても、その次を予測できない。次にどのような技術が登場するのかを予測できないからだ。
技術がニーズを掘り起こすことはあっても、掘り起こされるニーズはもともと潜在的に存在するものだと思う。やはりニーズが技術革新を促進するのであって、技術革新がニーズを生み出すものではないと言っていいだろう。
それではメディアが提供するサービスについて、多くの人は何を望んでいるのだろうか。どのようなニーズがあるのだろうか。
実はテレビを例にとった場合、番組の内容に文句のある人はいるかもしれないが、サービスの形態に関して視聴者はそれほど多くの具体的要望を持っていないかもしれない。もしあるとすれば、好きな番組を好きな時間に、好きな場所で見たい、時には自分の主張も取り上げて欲しい、といったことではないかとわたしは思っている。
「好きな番組を好きな時間に見る」というのは別の言い方ではビデオ・オン・デマンドということになる。「好きな場所で」はモバイル性。「主張を聞いてほしい」は参加型メディアということになるだろう。
著者注:ようやく次の本の執筆に取り掛かりました。できたものからアップしていきます。間違いの指摘やご意見をいただければ幸いです。
このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。
近未来から予測すると、技術をベースにした予測になりがちだ。「こんな技術が登場したので、どのようなサービスが可能になるのだろうか」という問いをベースにした予測になる。この方法だと、直近のサービスを予測できても、その次を予測できない。次にどのような技術が登場するのかを予測できないからだ。
技術がニーズを掘り起こすことはあっても、掘り起こされるニーズはもともと潜在的に存在するものだと思う。やはりニーズが技術革新を促進するのであって、技術革新がニーズを生み出すものではないと言っていいだろう。
それではメディアが提供するサービスについて、多くの人は何を望んでいるのだろうか。どのようなニーズがあるのだろうか。
実はテレビを例にとった場合、番組の内容に文句のある人はいるかもしれないが、サービスの形態に関して視聴者はそれほど多くの具体的要望を持っていないかもしれない。もしあるとすれば、好きな番組を好きな時間に、好きな場所で見たい、時には自分の主張も取り上げて欲しい、といったことではないかとわたしは思っている。
「好きな番組を好きな時間に見る」というのは別の言い方ではビデオ・オン・デマンドということになる。「好きな場所で」はモバイル性。「主張を聞いてほしい」は参加型メディアということになるだろう。
著者注:ようやく次の本の執筆に取り掛かりました。できたものからアップしていきます。間違いの指摘やご意見をいただければ幸いです。
このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。
by tsuruaki_yukawa
| 2005-07-27 08:21
| 本の原稿