2005年 11月 15日
「パブリック・ジャーナリズム」と「参加型ジャーナリズム」 |
▼「パブリック・ジャーナリズム」と「参加型ジャーナリズム」
さて「EPIC2014」の中に「参加型ジャーナリズム」という言葉が出てくる。どのような活動を「参加型ジャーナリズム」と呼ぶのだろう。
「EPIC2014」の中の「参加型ジャーナリズム」は、英語では「パーティシパトリー・ジャーナリズム」と表現されている。このほかにも同じような概念を示していると思われる表現に、「シビック・ジャーナリズム」「パブリック・ジャーナリズム」「グラスルーツ(草の根)ジャーナリズム」などがある。
この中でも「シビック・ジャーナリズム」「パブリック・ジャーナリズム」という言葉は、20世紀の初めのころから存在するようだ。インターネットがまだ存在していないころに、こうした言葉が既に存在していたことになる。
実は「シビック・ジャーナリズム」「パブリック・ジャーナリズム」という言葉は、新聞を核に地域社会のまとまりを高めようという運動を指す言葉のようだ。あくまでも新聞を中心にした運動だ。この辺りの話は寺島英弥著「シビック・ジャーナリズムの挑戦」に詳しい。
ネット企業大手のライブドアが、一般ユーザーから市民記者を募り「ライブドア・パブリック・ジャーナリズム」というニュースコーナーを展開しているが、米国の「パブリック・ジャーナリズム」という言葉が指すものとは、形態や目指す方向が違うようだ。
さて一方の「パーティシパトリー・ジャーナリズム」「グラスルーツ・ジャーナリズム」という言葉は比較的新しいものだ。両方とも一般市民によるジャーナリズムというような意味で使われ、ジャーナリズムを実践する中心的ツールとしてインターネットの存在がある。
さて「EPIC2014」の暗示する未来のジャーナリズムは、新聞を核にしたのではなくネットを核にしたものになるとしているわけだから、その方向の中で現在どのようなことが起こっているのかみてみることにしよう。
参加型ジャーナリズムと呼べそうな動きの代表例の1つは、米国に存在する。その形態は、ブログを利用したものだ。
ブログを使った個人の情報発信がジャーナリズムを実践しうる、とみなされ始めたのは、 年の米国同時多発テロからだと一般的にいわれている。報道機関のニュースサイトがアクセス過多でパンク状態に陥る中、ニューヨーク在住のブロガーたちの発信する情報は、貴重なニュースとなった。事件後のテレビの特集では、ブロガーたちの撮った写真の多くが使われたという。
米国でブログ情報のジャーナリスティックな価値がさらに認められたのは2004年の大統領選のときだ。米国で3本の指に入るといわれる著名ジャーナリストが司会する報道番組に対し、ブロガーたちが戦いを挑んだのだった。
脚注:「シビック・ジャーナリズムの挑戦=コミュニティとつながる米国の地方紙」(寺島英弥著・日本評論社 2005年)
著者注:本として出版するための原稿ですが、未完成なものです。間違いの指摘やご意見をいただければ幸いです。参考「本を書きます」
このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。
さて「EPIC2014」の中に「参加型ジャーナリズム」という言葉が出てくる。どのような活動を「参加型ジャーナリズム」と呼ぶのだろう。
「EPIC2014」の中の「参加型ジャーナリズム」は、英語では「パーティシパトリー・ジャーナリズム」と表現されている。このほかにも同じような概念を示していると思われる表現に、「シビック・ジャーナリズム」「パブリック・ジャーナリズム」「グラスルーツ(草の根)ジャーナリズム」などがある。
この中でも「シビック・ジャーナリズム」「パブリック・ジャーナリズム」という言葉は、20世紀の初めのころから存在するようだ。インターネットがまだ存在していないころに、こうした言葉が既に存在していたことになる。
実は「シビック・ジャーナリズム」「パブリック・ジャーナリズム」という言葉は、新聞を核に地域社会のまとまりを高めようという運動を指す言葉のようだ。あくまでも新聞を中心にした運動だ。この辺りの話は寺島英弥著「シビック・ジャーナリズムの挑戦」に詳しい。
ネット企業大手のライブドアが、一般ユーザーから市民記者を募り「ライブドア・パブリック・ジャーナリズム」というニュースコーナーを展開しているが、米国の「パブリック・ジャーナリズム」という言葉が指すものとは、形態や目指す方向が違うようだ。
さて一方の「パーティシパトリー・ジャーナリズム」「グラスルーツ・ジャーナリズム」という言葉は比較的新しいものだ。両方とも一般市民によるジャーナリズムというような意味で使われ、ジャーナリズムを実践する中心的ツールとしてインターネットの存在がある。
さて「EPIC2014」の暗示する未来のジャーナリズムは、新聞を核にしたのではなくネットを核にしたものになるとしているわけだから、その方向の中で現在どのようなことが起こっているのかみてみることにしよう。
参加型ジャーナリズムと呼べそうな動きの代表例の1つは、米国に存在する。その形態は、ブログを利用したものだ。
ブログを使った個人の情報発信がジャーナリズムを実践しうる、とみなされ始めたのは、 年の米国同時多発テロからだと一般的にいわれている。報道機関のニュースサイトがアクセス過多でパンク状態に陥る中、ニューヨーク在住のブロガーたちの発信する情報は、貴重なニュースとなった。事件後のテレビの特集では、ブロガーたちの撮った写真の多くが使われたという。
米国でブログ情報のジャーナリスティックな価値がさらに認められたのは2004年の大統領選のときだ。米国で3本の指に入るといわれる著名ジャーナリストが司会する報道番組に対し、ブロガーたちが戦いを挑んだのだった。
脚注:「シビック・ジャーナリズムの挑戦=コミュニティとつながる米国の地方紙」(寺島英弥著・日本評論社 2005年)
著者注:本として出版するための原稿ですが、未完成なものです。間違いの指摘やご意見をいただければ幸いです。参考「本を書きます」
このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。
by tsuruaki_yukawa
| 2005-11-15 18:57
| 本の原稿