2006年 01月 11日
紙はなくなるのか |
それでは商業ジャーナリズムにとって確立すべき新しいビジネスモデルとはどのようなものになるのだろうか。その前に争点となることの多い幾つかの問題についてわたしの考えを述べたいと思う。
まず「紙の新聞がなくなるのかどうか」という問いについて考えてみたい。この問いは「紙という物質の利用価値は、電子機器によって代替しうるべきものか」という問いと「紙の新聞事業は今後も安泰なのだろうか」という問いの2つの意味で議論されることが多い。どちらの意味で議論するかを定めないと、堂々巡りの議論になってしまう。
まず「紙という物質の利用価値は電子機器によって代替しうるべきものか。紙はなくなるのか」という問いについて考えてみたい。
「ネットは新聞を殺すのか」などというタイトルの本を書いたものだから、これまでに何十人、何百人という人からこの問いを投げかけられ、議論を繰り返してきたように思う。「紙はなくなる」派と「なくならない」派の両方と話したが、よくよく聞いてみると、議論の際の前提や定義が異なることが分かる。
そして前提と定義を同じものにすると、みな同じ意見になる。つまり、遠い将来にディスプレーが発達して紙の需要が低下することはあるかもしれないが、予測可能な近未来において紙の利用が一切なくなることはない、という意見だ。この意見に反対する人にわたしは今までお会いしたことがない。
要はディスプレー技術が今どのような段階にあるのか、急速な技術革新が見込めそうなのか、などの事実を把握せずに、この議論はできないということだ。こうした事実の把握こそが、この問いに対する答えであり、それなしには、「遠い未来は分からないが、しばらくはなくならない」以外の答えが出るはずがない。
そこで米国のeインク社という電子ペーパー技術の有力ベンチャーの幹部が来日した際に聞いてみることにした。同幹部によると、電子ペーパーは既に一部実用化されているが、紙のように広く普及するにはまだまだ時間がかかりそうだという。それどころか今後も読みやすさで電子ペーパーやディスプレーが紙を超えることはあり得ないと断言した。「読むための媒体として、紙は本当に優れていると思う」という意外な答えが返ってきたのが印象的だった。
電子ペーパーやディスプレーなどの電子機器と紙の通信簿を比較してみることにしよう。「読みやすさ」という点では、eインクの幹部の言う通り、紙の勝利ということになる。将来においても、紙の優位性が覆ることはなさそうだ。
持ち運びやすさ、モバイル性でも、今のところ紙の勝ちといえる。紙は丸めたり、折り曲げたりすると、どんなサイズの鞄の中にも収まることができる。最高のモバイル媒体だ。
経済性でも紙はかなり優等生だ。しかし電子ペーパーやディスプレーは、書き換えがほぼ無制限に可能。用途によっては、経済性で紙を超えることもあるだろう。
どちらが環境にやさしいだろうか。リサイクルは可能だが、紙は使い捨て。森林資源のことを考えれば、紙のほうが分が悪いかもしれない。
一方、紙にない利点が電子媒体にはある。文字データを音声に変換できることだ。点字に直されたものだけだった目の不自由な人の情報源が、一気に増加することになる。
さて総合点はどちらのほうが上だろう。1つ言えることは、技術革新にともない電子ペーパーなどの電子媒体の総合点は上がる一方だということだ。
ところで紙の出荷量はこのところどのように推移しているのだろう。一時はパソコンが普及すればペーパーレス化が進むといわれた。実際には、紙の出荷量が減っているどころか増えているという統計資料を見たことがある。実際にはペーパーレス社会にはなっていないということだ。
なぜペーパーレスが進展してこなかったのか。1つには、これまではネットワークを通じての文書交換がそれほど便利ではなかったからだ。また「やっぱり長い文章は印刷物でないと目が疲れる」という人がまだまだいたからだと思う。
しかしインターネットが普及してからは状況が異なり始めた。機種の異なるパソコン同士でも、ネットを通じて比較的簡単に文書の交換が可能になった。インターネットを生活の一部として当然存在するものとみなす若い世代は、長い文章でもパソコンや携帯電話の画面で読んでしまう。
また紙を介した情報伝達量の何十倍、何百倍もの情報がペーパーレスで行われている。電子メールだけみても、その情報伝達量は、郵便による情報伝達量をはるかに超えている。それだけ情報のやりとりが幾何学的に増えたのだ。絶対量をみれば紙の需要は減っていないが、相対的にみればペーパーレスが確実に進んでいるといえる。
だから絶対量で紙の需要が減少していないとする主張も正しいし、相対的にペーパーレスが進んだとする主張も正しい。要は、どちらの議論をすべきか、ということだ。製紙産業の未来について考えるのであれば、絶対量の議論をすべきだ。しかし情報を取り扱う業界の未来について考えるのであれば、絶対量の議論はピント外れだと言わざるを得ない。
ちなみに、電子文書システム財団という米国の業界団体は、2020年ごろには絶対量でも紙の需要が減少するという予測している。
また同団体の調査によると、1995年には情報伝達の7割を紙が担い、3割を電子機器が担っていた。それが2010年には、紙が48%、電子機器が52%と逆転する。さらに2020年には紙による情報伝達は全体の35%にまで落ち込み、電子機器による情報伝達が65%にまで拡大すると予測している。
近い将来、紙がなくなることはない。だが情報伝達媒体の主役の座から引き摺り下ろされるこという見方が一般的と言えるだろう。
脚注:電子文書システム財団の報告書「Printing in the Age of the Web & Beyond」
http://www.edsf.org/images/Overview.PDF
著者注:本として出版するための原稿ですが、未完成なものです。間違いの指摘やご意見をいただければ幸いです。「過去エントリをそのまま記録として残すべきだ」「細かな修正を加えるたびにPINGが飛び、RSSリーダーにほぼ同じ原稿が表示されるので困る」などという意見をいただきましたので、ご意見、ご指摘をいただいても、エントリ自体を修正しないことにしています。ですが、建設的なご指摘、ご意見は、最終原稿に必ず反映させるつもりです。繰り返しになりますが、本エントリは未完成原稿です。引用を希望される場合は、脚注にある原典に当たられることをお勧めします。
参考「本を書きます」
このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。
まず「紙の新聞がなくなるのかどうか」という問いについて考えてみたい。この問いは「紙という物質の利用価値は、電子機器によって代替しうるべきものか」という問いと「紙の新聞事業は今後も安泰なのだろうか」という問いの2つの意味で議論されることが多い。どちらの意味で議論するかを定めないと、堂々巡りの議論になってしまう。
まず「紙という物質の利用価値は電子機器によって代替しうるべきものか。紙はなくなるのか」という問いについて考えてみたい。
「ネットは新聞を殺すのか」などというタイトルの本を書いたものだから、これまでに何十人、何百人という人からこの問いを投げかけられ、議論を繰り返してきたように思う。「紙はなくなる」派と「なくならない」派の両方と話したが、よくよく聞いてみると、議論の際の前提や定義が異なることが分かる。
そして前提と定義を同じものにすると、みな同じ意見になる。つまり、遠い将来にディスプレーが発達して紙の需要が低下することはあるかもしれないが、予測可能な近未来において紙の利用が一切なくなることはない、という意見だ。この意見に反対する人にわたしは今までお会いしたことがない。
要はディスプレー技術が今どのような段階にあるのか、急速な技術革新が見込めそうなのか、などの事実を把握せずに、この議論はできないということだ。こうした事実の把握こそが、この問いに対する答えであり、それなしには、「遠い未来は分からないが、しばらくはなくならない」以外の答えが出るはずがない。
そこで米国のeインク社という電子ペーパー技術の有力ベンチャーの幹部が来日した際に聞いてみることにした。同幹部によると、電子ペーパーは既に一部実用化されているが、紙のように広く普及するにはまだまだ時間がかかりそうだという。それどころか今後も読みやすさで電子ペーパーやディスプレーが紙を超えることはあり得ないと断言した。「読むための媒体として、紙は本当に優れていると思う」という意外な答えが返ってきたのが印象的だった。
電子ペーパーやディスプレーなどの電子機器と紙の通信簿を比較してみることにしよう。「読みやすさ」という点では、eインクの幹部の言う通り、紙の勝利ということになる。将来においても、紙の優位性が覆ることはなさそうだ。
持ち運びやすさ、モバイル性でも、今のところ紙の勝ちといえる。紙は丸めたり、折り曲げたりすると、どんなサイズの鞄の中にも収まることができる。最高のモバイル媒体だ。
経済性でも紙はかなり優等生だ。しかし電子ペーパーやディスプレーは、書き換えがほぼ無制限に可能。用途によっては、経済性で紙を超えることもあるだろう。
どちらが環境にやさしいだろうか。リサイクルは可能だが、紙は使い捨て。森林資源のことを考えれば、紙のほうが分が悪いかもしれない。
一方、紙にない利点が電子媒体にはある。文字データを音声に変換できることだ。点字に直されたものだけだった目の不自由な人の情報源が、一気に増加することになる。
さて総合点はどちらのほうが上だろう。1つ言えることは、技術革新にともない電子ペーパーなどの電子媒体の総合点は上がる一方だということだ。
ところで紙の出荷量はこのところどのように推移しているのだろう。一時はパソコンが普及すればペーパーレス化が進むといわれた。実際には、紙の出荷量が減っているどころか増えているという統計資料を見たことがある。実際にはペーパーレス社会にはなっていないということだ。
なぜペーパーレスが進展してこなかったのか。1つには、これまではネットワークを通じての文書交換がそれほど便利ではなかったからだ。また「やっぱり長い文章は印刷物でないと目が疲れる」という人がまだまだいたからだと思う。
しかしインターネットが普及してからは状況が異なり始めた。機種の異なるパソコン同士でも、ネットを通じて比較的簡単に文書の交換が可能になった。インターネットを生活の一部として当然存在するものとみなす若い世代は、長い文章でもパソコンや携帯電話の画面で読んでしまう。
また紙を介した情報伝達量の何十倍、何百倍もの情報がペーパーレスで行われている。電子メールだけみても、その情報伝達量は、郵便による情報伝達量をはるかに超えている。それだけ情報のやりとりが幾何学的に増えたのだ。絶対量をみれば紙の需要は減っていないが、相対的にみればペーパーレスが確実に進んでいるといえる。
だから絶対量で紙の需要が減少していないとする主張も正しいし、相対的にペーパーレスが進んだとする主張も正しい。要は、どちらの議論をすべきか、ということだ。製紙産業の未来について考えるのであれば、絶対量の議論をすべきだ。しかし情報を取り扱う業界の未来について考えるのであれば、絶対量の議論はピント外れだと言わざるを得ない。
ちなみに、電子文書システム財団という米国の業界団体は、2020年ごろには絶対量でも紙の需要が減少するという予測している。
また同団体の調査によると、1995年には情報伝達の7割を紙が担い、3割を電子機器が担っていた。それが2010年には、紙が48%、電子機器が52%と逆転する。さらに2020年には紙による情報伝達は全体の35%にまで落ち込み、電子機器による情報伝達が65%にまで拡大すると予測している。
近い将来、紙がなくなることはない。だが情報伝達媒体の主役の座から引き摺り下ろされるこという見方が一般的と言えるだろう。
脚注:電子文書システム財団の報告書「Printing in the Age of the Web & Beyond」
http://www.edsf.org/images/Overview.PDF
著者注:本として出版するための原稿ですが、未完成なものです。間違いの指摘やご意見をいただければ幸いです。「過去エントリをそのまま記録として残すべきだ」「細かな修正を加えるたびにPINGが飛び、RSSリーダーにほぼ同じ原稿が表示されるので困る」などという意見をいただきましたので、ご意見、ご指摘をいただいても、エントリ自体を修正しないことにしています。ですが、建設的なご指摘、ご意見は、最終原稿に必ず反映させるつもりです。繰り返しになりますが、本エントリは未完成原稿です。引用を希望される場合は、脚注にある原典に当たられることをお勧めします。
参考「本を書きます」
このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。
by tsuruaki_yukawa
| 2006-01-11 06:38
| 本の原稿