ネットは新聞を殺すのかblog
2006-06-13T04:58:45+09:00
tsuruaki_yukawa
「湯川鶴章のIT潮流」が表。これは裏ブログです
Excite Blog
本が出ます
http://kusanone.exblog.jp/3728175/
2006-06-13T04:51:00+09:00
2006-06-13T04:58:45+09:00
2006-06-13T04:51:50+09:00
tsuruaki_yukawa
未分類
6月24日発売だそうです。本のタイトルは「ブログがジャーナリズムを変える」です。ブログ「は」ジャーナリズムを変える、だと思っていた。NTT出版の社長の鶴の一声で決まったそうです。まあ僕の提案だった「メディアの融合と参加型ジャーナリズム」というインパクトのないタイトルよりはましか。
ただ自分としては、ブログがジャーナリズムを変える完璧なツールだとは思っていない。個人の情報発信、消費者発信メディア(CGM)がジャーナリズムを変えることは間違いない。CGMの歴史の中では、ブログはあくまでも過渡期的なツールだと思う。というのは、まだまだネット上の言論空間は未成熟だし、ブログを通じた議論は健全なものばかりではないからだ。
それでもブログというツールには非常にお世話になったという思いが強い。ブログを通じて多くのことを得た。
僕は幼いころから非常に傲慢な人間だった。思い上がりが激しく、周りの人間に嫌な思いをさせたことも多かったと思う。「尊敬する人は」という質問に「尊敬に値する人間になど出会ったことがない」というクソ生意気な発言を繰り返してきた。
しかしブログを通じて、尊敬できる人間に数多く出会えた。その数ざっと、20人。文章力の優れた人、発想の豊かな人、分析力のある人、心の清らかな人、前向きな人、人を元気にする文章を書く人、人生を楽しく生きている人・・・。それぞれに異なるすばらしさを持ったブロガーたちだ。ほとんどの人は僕より年下だ。多くの人は社会的に無名で、実名が分からない人もいる。それでもこの人たちは、僕に生きる活力を与えてくれる心の師である。
またこのブログを通じて多くの友人を得た。このブログを通じて勉強会に呼ばれたりすることで、実際にお会いした人だけでも何百人にも上る。多くの人と心の通ったおつきあいをさせていただいている。この週末も佐賀に出かけて、ブログを通じてできた友人たちと楽しいひとときを過ごしたばかりだ。こうした友人たちは、僕のかけがえのない財産になっている。
そして何よりも、この本は、こうした友人や読者なしでは存在し得なかった。
「ネットは新聞を殺すのか」という本を出したあと、結論が中途半端であるという批判を多くの方からいただいた。「ネット・・・」では、メディアはネットというトンネルの中に入ったということは指摘できたが、その出口がどこにあるのかを示せなかった。出口を示す責任があるという濱田さんの言葉に背中を押されてこのブログを始めたのが2年前の5月。答えが見つかるのか不安はあったが、とりあえずこのブログで情報発信を始めた。
最初は自分で情報を集めてきた。しかししばらくすると読者からいろいろな情報が集められるようになった。グーグルニュース、ライブドアPJ、カナロコなど、このブログが取り扱ったこれらのニュースは、すべて読者からの情報提供がもとになった。
参加型ジャーナリズムに関する知見も、ほとんどが読者との議論の中で固まってきたものだった。
本の原稿をすべてこのブログにアップし、多くの人から意見をもらった。事実関係の修正はもとより、文章のスタイル、内容まで、多くの読者の意見を参考にさせていただいた。本は3部構成になっているが、1部と3部で文章のトーンが違うのは「未来予測よりも自分の心情の吐露を」という読者からの指摘を受けながら書き続けたからだ。
つまりこの本は読者のみなさんのおかげで発行できるようになった。というより読者のみなさんのインプットなしでは、成立しなかった。みなさん、2年間にわたいり本当にありがとうございました。心からお礼申し上げます。
僕の興味の対象は、ブログというツールからポッドキャスティングに移行し、参加型ジャーナリズムやメディアの融合というテーマから、メディア周辺産業の近未来というテーマに拡大しつつある。メディアの変化に伴い、広告、マーケティング、広報、物販といったメディア周辺産業も変わる。そしてメディア周辺産業の変化はまた、メディア自体を変える。文化、社会を変えると思う。そう思うからだ。
それでもブログというツール、参加型ジャーナリズムというテーマからは、いろいろな贈り物をいただいたと思う。
みなさん、本当にありがとうございました。]]>
中間報告
http://kusanone.exblog.jp/3567620/
2006-05-05T04:59:07+09:00
2006-05-05T04:59:07+09:00
2006-05-05T04:59:07+09:00
tsuruaki_yukawa
未分類
タイトルは「メディアの融合と参加型ジャーナリズム」とわたしから提案したのですが、編集者はあまり感心しなかったもよう。その後、「ブログの読者からは『ネットにやられてたまるか』というタイトルを提案してもらったんだけど」と話したら「それでいきましょう。編集会議でそのタイトルを強く推します」と言っていた。いいのか、そんな刺激的なタイトルで。
実はこのタイトルを提案したのは、スポンタさんなんです。
ほかにいいタイトルがないか考えているんだけど、まったく思いつかない・・・。困った。
出版されれば、このブログも閉めようかなあ。1つのくぎりとしてね。でもまたすぐに別のところでブログを始めるかもしれないけど。]]>
泉さんのエントリーを削除した件について
http://kusanone.exblog.jp/3470741/
2006-04-12T01:22:00+09:00
2006-04-12T23:58:25+09:00
2006-04-12T01:22:05+09:00
tsuruaki_yukawa
未分類
standpoint1989さんからの次のような問いに答える形でご説明したいと思います。
1.誰が削除したのか
当初、技術的な理由で削除されてしまったとのお話だったと伺っておりますが、テキストがなく現在確認できません。これは人為的に削除されたのでしょうか。であれば、技術的な理由で削除されたというのは何らかの誤解でしょうか。
当初、湯川さんは削除された状況を把握されていないということも伺っておりますが、これもテキストがないために確認できておりません。湯川さん以外の方が削除されたとすれば、IT潮流の管理権・編集権は第三者と共有されておられるのでしょうか。事前であれ事後であれ、検閲を受けることを湯川さんは承諾されておられるのでしょうか。その第三者がいるとすればそれは時事通信社でしょうか。
2.誰が指摘したのか
IT潮流が目指す方向性にそぐわないということを誰が指摘なさったのでしょうか。このような指摘があれば湯川さんはともかくも受け入れるのでしょうか。ことごとくはそうではないとおっしゃるのであれば、今回は一度は記事として上げられた訳ですから、その後判断が変わったということになります。その理由をお聞かせいただけますか。
また、より個人性の強い「ネットは新聞を殺すのかブログ」で、フォローをなされるお考えはありませんか。
3.事実確認について
削除されたテキスト、音声ファイルの内容ですが、言及されておられた当事者の方に面会する等を経て、事実確認をなさっておられるでしょうか。
されておられるとすれば、その内容について「報道」されるおつもりはありませんか。
4.名誉毀損について
今回の件は、当該する人がハンドルネームであり、ハンドルネームを通した活動によって報酬を得ていたわけではないようなので名誉毀損とするのはなかなか難しいように考えますが、湯川さんはこれが法的な意味における名誉毀損に相当するということを前提にして音声ファイルではお話なさっておられたように受け取りました。
出来ればその根拠、お考えをお聞かせいただきたく、お願い申し上げます。
これに対しわたしは以下のように答えました。
今回の削除を決めた理由にも影響しているのですが、「IT潮流」をITのニュースサイトのようなものにしたいと考えています。ほかのブログのようにいろいろな議論を取り扱うのではなく、ITに関する情報だけが集まるようなサイトにしたいと思っているんです。CNETの渡辺聡さんの情報化社会の航海図のようなものを目指しています。
「1つの情報の分野に特化した情報のハブになれば、いずれ十分な広告が集まり立派に収益を上げて運営できるようになる」「こうしたミニサイトを幾つ作れるかが、これからのメディア企業の課題だ」とわたしはこれまでエラそうに主張してきました。しかしただの机上の空論を展開するだけではだめだと思うんです。まず自分が動こう。自分で道を切り開いていこう。そう思って「IT潮流」というサイトを立ち上げました。
ですから「IT潮流」では、潮流に関する議論に特化させたいと思っています。泉さんのインタビューで、それ以外の議論の場になると複数の人から指摘され、一端エントリーを一時的に削除し考えてみることにしました。いろいろな人に相談したのですが、わたし自身も本来目指している方向とは違う議論の場になる可能性があると思い、最終的に再掲載しないことを決めました。
「IT潮流」は当初、ドメイン名を取得しレンタルサーバー上で運営していましたが、ポッドキャストを始めるにあたり、ポッドキャストを支援してくださるニフティさんのサーバーに移管しました。それでもドメイン名は今までのままがよかろうということで、「ドメインマッピング」という手法で、旧ドメインのアドレスを入力すると、ニフティさんのサーバーのアドレスに自動的に転送される仕組みを採用しました。
しかし、これがうまく機能しないことがあり、これまで複数の方から新しいエントリーが上がっていない、古いサイトにたどりつく、などという苦情をいただいています。現在ニフテイのシステム担当者さんに対処方法を検討していただいています。
わたしが「ネットは・・・blog」に「ファイルが表示されない」とエントリーを上げたときの原因はよく分かりません。ドメインマッピングの問題かも知れませんし、その時点でたまたまニフティさんのサーバーに不具合が発生しコメント欄が表示できない状態でしたので、その関連かもしれません。表示されない時間があったのは事実です。ですが、さきのコメントにもあるように、その後すぐにわたし自身がエントリーを削除しました。
「十分な検討もなくエントリーをおろすべきではない」という批判を同僚から受けたのですが、今でも対処方法が間違っていたのかどうか、よく分かりません。わたしはブログというのは、エントリーを上げるのも下げるのも自由にすればいいもの、と考えていましたので、問題が指摘されれば、とりあえずエントリーを引っ込めてから考えようと思いました。
2.誰が指摘したのか
「IT潮流」の内容にそぐわないとだれが指摘したかについてですが、この件に関しては多くの人に意見をうかがいました。複数の方から指摘を受けました。
黒崎さんだったかだれかから「会社の公認ブロガーになったことでブロガーとしての湯川は死んだ」とかいうような指摘を以前受けましたが、本当にそうだなと思いました。このブログ上でも所属組織は明らかにしませんでしたが、ずっと実名でやってきたために書けないことがたくさんありました。「内容が八方美人すぎる」と批判されたこともあります。スポンタさんが「本当に自由な言論は2ちゃんねるにしかない」とおっしゃってましたが、ある意味でその通りだと思います。会社の名前の入ったブログになることで、コメント爛に書き込んでくれるのはトリルさんとスポンタさんだけになってしまいました。わたし自身も自分の言論をさらに制御するようになりました。だれにいわれたわけでもなく自分でコントロールし始めたのです。
「これから地方紙の経営が悪化する」ともしわたしが書けば「お前のところの湯川はこんなことを書いているようだな」と地方紙さんから現場の営業の若い人間が怒られはしないだろうか・・・。そんなことを先に気にするようになりました。自分ひとりの自由な言論だけれど無責任な言論ではいけない。自分を支えてくれている人たち、周りの人たちになるだけ迷惑のかからない言論でなければならない、とさらに強く考えるようになりました。確かに周りの人を気にするよりも大事な言論が存在すると思います。そうした大事な言論を展開しなければならないときに臆することなく展開できるように、日ごろは周りに気をつかって言論しなければならないと思っています。
ですからstandpointさんの質問に戻ると、ここのブログでやっていたときには、周りの人に意見を聞くこともありませんでしたし、周りから何かを指摘されることはありませんでしたが、「IT潮流」の運営にあたってはできるだけ信頼できる多くの人の意見を聞こうとしています。これからも多くの人の意見を聞きながら運営していくつもりです。ただ意見は聞くものの、最終的に判断するのはわたしです。だれかから強要されることはありません。自分の意思に反することをさせられるぐらいなら、ブログを閉鎖したいと思います。
すみません。standpointさんのご質問にお答えし忘れているところがありました。「IT潮流」の管理権、編集権についてです。もちろん両方ともわたしにある、という結論なんでしょうが、もう少し詳しく説明します。「IT潮流」の管理者サイトへのID、パスワードは複数の人間が知っています。ただ実際に「IT潮流」の管理に携わっているのは、わたしとN社の担当者さんだけです。もともとわたし一人で管理していましたが、音声が早送りになっているままアップしたり、ファイル名を間違ってアップしていたというようなミスが何度か続きましたので、担当者さんのご好意で、担当者さんがファイルに問題がないかを確認した上で公開する、という手順になっています。しかし内容的なチェックを行うわけではありません。
また編集権の問題ですが、この問題はわたしの中であいまいに考えていました。もちろん「わたしに責任がある」と明記していましたが、それでも会社の冠をかぶっているので会社はある程度の影響力を行使してくる可能性があるのではないか、と漠然と思っていました。今回、わたしに対してだけではなくわたしの所属する社に対しても説明を求める声が上がっているということは、やはりいくら責任がわたしにあると明記していても、文面通りに受け取られない方がいる証拠だと思います。今回の件がきっかけで社内のいろいろな人と話をしました。いろいろな意見がありました。ブログというのは非常に変わった立ち位置になります。ほかのコンテンツはすべてデスクの目を通ります。ブログは通常の編集過程をいっさい経ません。わたしが書いて、それですぐアップです。報道機関の今までのコンテンツにはありえないことです。
ですから、多くの報道関係者はブログをすべきではない、と考えているわけです。わたしは、これからの報道は対話が中心になると信じてきました。今でも信じています。ですから、無理を言ってブログの実験をさせてもらっています。
ですから全体的な共通認識はまだ確立していない、というのが本当のところかもしれません。だから実験と銘打っているだと思います。ですが、多くの人との議論を通じて「やはり編集権は自分にあるし、編集権は自分にないといけないんだ」と強く思うようになりました。編集権が自分にないのであれば、ブログという形式を取るべきではないとも思います。ということでstandpointさんのご質問に戻りますが、ブログを続ける限り編集権はわたしにあり、わたし以外にはありません。
実は危機広報に関しても悩みました。恐らく多くの企業さんがそうでしょうが、危機が発生した場合、「拙速に対応すべきではない」「慎重に検討してから対応すべき」「その場の判断で対応すると、あとで整合性がとれなくなる」という意見が主流になるのではないかと思います。
わたしはこのブログが炎上しそうになり、それを乗り切った経験から、こうした危機広報の支配的な意見には、首を傾げてしまいます。わたしが過去に炎上を乗り切れたのは、誠実に対応したからだと思っています。もちろん誠実に対応しても心ない人からのコメントは続くのですが、一人、また一人と自分の誠意が通じて味方についてくれると思っています。
ですから今回もできるだけ誠意を持って可能な限りの情報を出し続けるべきではないのか、と悩みました。今でも悩んでいます。
恐らくネットのない時代の広報は、一度間違った対応をすると取り返しがつかないので、「できるだけ慎重に対応する」「できるだけゆっくり対応する」「できるだけ情報を出さない」という方法が定着していったのではないでしょうか。今はネットで幾らでも情報を出せる時代です。たとえ思慮が足らずに間違った対応を取ったとしても、誠意を持ってその後の対応を進めれば、多くの人には理解してもらえる。そう思っています。甘いでしょうか?
それが「とりあえずエントリーを一度下ろしておいて、よく考えてから再掲載するかどうか決めればいい」と考えた理由です。
この「とりあえず削除」には、多くの批判をいただきました。今でもこの対処方法がよかったのかどうか分かりません。すぐに説明文を掲載しない、というのは、この部分では危機広報の主流派の意見に耳を傾けてしまったからです。多くの人に相談して迷った結果、ちぐはぐな対応になったことをお詫びします。そして今でも迷っています。
3についてお答えします。
事実確認いたしておりません。よって報道するつもりもありません。
ある辣腕コメンターの方から「湯川さんはIT記者だし、事件当時は海外にいたから、この問題を十分に理解していない。取り上げる資格がない」という批判のメールをいただきました。おっしゃる通りだと思いました。
わたしが泉さんのインタビューを企画したのは次のような経緯です。最近はポッドキャストに夢中になっていて、あまりgrip blogを見ていなかったのですが、トリルさんがわたしのところのコメント爛で「湯川さんの名前を出しておいたよ」とコメントを残されたので、見に行きました。それがきっかけです。
そこで泉さんのところで騒動らしきものが起こっていることを知りました。また泉さんがニューズウォッチで活動されるということも知りました。ニューズウォッチが参加型ジャーナリズムの新しい取り組みを始めようとしていることは知っていましたので、詳しく話を聞いてみたいと思いました。また泉さんのようなネット有名人の肉声を聞いてみたいという情報ニーズがあるのではないかと思いました。それで取材を申し込んだわけです。こうした企画の動機について、一部で既に批判されているようですが、この程度のものだったというのが本当のところです。ですからこのセンシティブな問題を取り上げる「資格」もないですし、つもりもありませんでした。もっといえば、IT以外のセンシティブな問題を取り扱える能力もないと思います。ですから問題がセンシティブでる、「IT潮流」にはそぐわない議論に発展する、と指摘されたときに、その指摘にうなずかざるを得ませんでした。多くの方に不快な思いをさせる結果になりました。申し訳なく思っています。深くお詫びしたいと思います。standpointさんの質問にお答えしますと、資格、能力ともありませんので、取り扱うつもりはありません、ということです。
引き続きstandpointさんのご質問の名誉毀損の部分にお答えします。泉さんの音声ファイルを聞いた方の感想の1つに「突っ込んだ質問をしていないのでつまらない」というような内容のものがあったと記憶しています。インタビューの中盤ぐらいに差し掛かったところで、わたし自身も突っ込んだ質問ができていないように思いました。泉さんはどの質問にもそつなく答えられていました。なんとかブログに書かれていないような泉さんの肉声を引き出せないかと思い、名誉毀損の話を振りました。「僕自身は一般的に言って名誉既存で提訴することはあってしかるべきだと思いますが、あなたはどう思いますか」という感じです。自分がまず大げさに話すことで相手の警戒心を解き、本音を語ってもらうという手です。僕自身、取材の中ではよく使っている手ですが、トーク番組のようなセッティングの中では、控えるべきだったかもしれません。わたしが訴訟を勧めているような誤解を与えた可能性があります。誤解された方には、心よりお詫び申し上げます。
では、わたし自身の名誉毀損問題についての考えを述べさせてください。インタビューの中でも述べましたが一般論としては、ネット上の言論であれ、名誉毀損に対しては法的措置もあってしかるべきだという考えは持っています。
次に一般論ではなく、個別の話をします。ある人から泉さんのブログには名誉毀損の発言があるので見るように言われ、約1時間ほどコメント爛をざっと読みました。さっと読んだからかもしれませんが、名誉毀損にあたりそうな発言を見つけることはできませんでした。ですので、どうすべきだと言える状態でもありません。
次に匿名のコメントに対する考えを述べます。実名だと自分自身で言論にブレーキをかけてしまう。スポンタさんの言うように「本当の議論は2ちゃんねるにしかない」という意見にも同意する部分がる、というのは先に書いた通りです。実名の議論の制約というものを、わたしこそ十分に身にしみて理解している、と思います。ネットの匿名の文化は守るべきだと心の底から思っています。
一方で心ないコメントに傷つくことがあります。どうしてここまでひどい言葉をかけられなければならないんだろうと、本当に悲しくなります。議論から逃げ出したい、というのが本音です。若いうちならカッともなったんでしょうが、今は悲しくなるだけです。ほんとうに自分は気が弱いんだと思います
そのほかの議論は下のコメント欄をご覧ください。
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日本版オーマイニュースの狙いは打倒権威主義
http://kusanone.exblog.jp/3241499/
2006-02-23T06:02:14+09:00
2006-02-23T06:02:14+09:00
2006-02-23T06:02:14+09:00
tsuruaki_yukawa
未分類
ポッドキャスティング本格的に再開します
http://kusanone.exblog.jp/3232368/
2006-02-21T13:59:40+09:00
2006-02-21T14:00:47+09:00
2006-02-21T13:59:40+09:00
tsuruaki_yukawa
未分類
最初のインタビューは株式会社はてなの近藤社長です。
ニフティさんのおかげでスポンサーもついたし、堂々と勤務時間中に社業の一環としてブログができるようになりました。やったー!]]>
グーグルゾンと米政府
http://kusanone.exblog.jp/3065180/
2006-01-22T09:15:56+09:00
2006-01-22T09:15:56+09:00
2006-01-22T09:15:56+09:00
tsuruaki_yukawa
未分類
トリルさんのご指摘通り、結構重要な問題。
EPIC2014では、グーグルゾンがあらゆる情報を持つことが懸念されていたけど、実際には米政府が情報を押さえに動くわけですね、やっぱり。インターネットは必ずしも僕らを幸せにしない、ということなんだと思う。]]>
トリルさん、連絡いただけませんか
http://kusanone.exblog.jp/3058998/
2006-01-21T07:57:22+09:00
2006-01-21T07:57:22+09:00
2006-01-21T07:57:22+09:00
tsuruaki_yukawa
未分類
よろしくお願いします。]]>
ありがとうございました
http://kusanone.exblog.jp/3045974/
2006-01-18T23:08:52+09:00
2006-01-18T23:40:24+09:00
2006-01-18T23:08:52+09:00
tsuruaki_yukawa
未分類
コメント、トラックバックをくださったみなさん、本当にありがとうございました。
原稿が尻切れトンボのような形で終ってしまった感じがあると思います。それは、実はあと数回で終りそうなので、そろそろまとめを考え始めたところ、ふとあることに気づいたからです。
それは単なる未来予測ではなく、もっと自分自身の思いを込めるべきではないか、ということです。まとめを書く前に、もう一度書き直すことにしました。
みなさんがコメントを寄せてくださった「本の原稿」カテゴリーのエントリーを捨てることはありません。ほとんどすべて使います。それに、みなさんからのアウトプットを加えて、ふくらませていきたいと思っています。ファクト部分はほとんど変わりません。
ただ表現の仕方を変えたいと思っています。個人的な希望や、悲しみ、悔しさ、臆病さ、無力さ、などといったわたしの内面も隠さずに表現していきたいと思います。
こういう気持ちにさせてくれたのは、実は鮫島さんの先日のエントリーです(もう少しやさしく言ってほしかったけど。笑)。スポンタさん、黒崎さんの一貫したアドバイスも、ボディーブローのように効いていたのかもしれません。
みなさん、本当にありがとうございました。
このブログはこのまま置いておきますので、引き続き、コメント欄などを活用してください。
また本が完成した際には、10冊ほど、プレゼントしたいと思います。ご希望の方は、本の完成までに(恐らく3月末ぐらい)、メールか何かで住所、氏名をお知らせください。抽選で10人の方に差し上げたいと思います。
それでは、いよいよラストスパート。がんばりたいと思います。
p.s. 市場ハブに対するわたしの考えは、トリルさんが補足説明してくださった通りです。多くの人に誤解されるということは、筆が足りなかったのだなと思っています。
p.s. ライブドアPJのKNN神田さんの記事、おもしろかったなあ。やるじゃん、市民記者。]]>
大手メディアの一般ニュースは激戦区に
http://kusanone.exblog.jp/3032176/
2006-01-16T18:21:00+09:00
2006-01-16T18:22:30+09:00
2006-01-16T18:22:30+09:00
tsuruaki_yukawa
本の原稿
新聞の場合、経営者が今後力を入れそうなもう一つの手は、紙とネットの共存、共栄だろう。紙の読者を新聞社のサイトへ誘導したり、サイトの読者に紙の新聞の購読を勧めるような企画が増えてくるものと思う。紙面で伝えきれなかった情報をサイト上で展開したり、サイト上の議論のまとめを紙面に掲載する、といったような企画だ。
紙の部数減に歯止めをかけたいというサプライサイドの都合を原動力にした動きだが、読者の利便性を高めることができれば、ある程度の成果は期待できる。ただ紙の新聞をまったく取る気のない若い層への効果は限定的かもしれない。
▼ローカルメディアはブランド力を維持できるか
さて既存メディア企業がネット事業で成功するには、情報ハブを目指すのか、コンテンツ提供者を目指すのか、まず自分の役割を明確に認識することが重要だろう。情報ハブを目指すのなら、どの分野の情報ハブを目指すのかを考えなければならない。
地方紙は、比較的簡単に今後の役割を見つけることができる。今まで同様に、その地域の情報ハブを目指せばいいからだ。
情報が集まってくるようにするには、地域ポータルサイトよりも地域コミュニティーサイトを目指すのがいいだろう。ニュースを中心とした情報を見せるというサイトではなく、人々が集い情報を交換しあうようなサイトがいいというおとだ。
コミュニティーサイトとしては、ソーシャルネットワーク(SNS)などと呼ばれる仕組みが人気を集めているが、こうした仕組みも進化を続けるであろうから、目的にそった新しい仕組みを次々といち早く採用し続けることも大事だろう。
地方紙が競合するのは、ローカルテレビ局や、ポータルなどのネット企業になる。電力会社など公共事業会社なども地域コミュニティーサイト事業に乗り出してくるかもしれない。事実、関西では関西電力の子会社が「ふるるkansai」というコミュニティーサイトを運営し、関西の主婦層を中心に人気を集めている。
地方紙や地方テレビ局は、その地域の人とのつながりや、ブランド力という強みがある。大停電の際に新潟日報に情報が集まったのも、新潟日報のブランド力があってのことだろう。停電でどこも情報がないとき、「新潟日報のサイトにいけば、何か情報があるかもしれない」と人々が思ったのは、長年の地道な取材活動で新潟日報に寄せられた信頼が築き上げたブランド力があってのことだろう。
ただわたしは、ネット事業に出遅れて、新規企業にネット上のブランド力を独占されてしまう例を、これまで何度も見てきた。
書籍販売の有力ブランドといえば、紀ノ国屋書店など幾つか挙げられるが、ネット上ではアマゾン・ドット・コムがナンバーワン・ブランドだろう。旅行に関する口コミ情報の最大のブランドといえば、「地球の歩き方」だった。ところがネット上では、カカクコムの「4トラベル」の躍進を許してしまっている。
今はまだ地域コミュニティーサイトの覇権争いが本格化していないが、いったんどこかの企業がネット上でのブランドを確立してしまえば、それを追い抜くことは容易ではない。たとえ長年培ったブランド力を持つ地方紙やローカルテレビ局でもだ。
ポータルサイトの地方ローカル情報拡充の話が、よく耳に入ってくるようになった。覇権争いの勝負のときがあと2、3年以内にくるかもしれない。
▼大手メディアの一般ニュースは激戦区に
より激戦が予想されるのは、全国紙、キー局などが扱う一版ニュースの市場だ。やはり情報市場や情報ハブの構築が大きなテーマとなる。しかし同じような情報を取り扱う情報ハブは、2つと要らない。というより、1つしか生き残れないだろう。情報ハブが複数存在すれば、集まってくる情報や広告が分散され、共倒れになってしまうからだ。
そのオンリーワンの地位を狙うであろう社は、全国紙、キー局を含め10社以上存在する。今はまだネット事業に本腰を入れていないが、ネット事業に軸足を移す中で競争が激化することは容易に想像がつく。
しかし勝負の世界は非情なもの。1社以外は敗退する運命にある。
現実的には、より狭い分野の情報ハブになるという選択肢が1つある。イメージ的には、専門紙、業界紙のような専門分野の市場ハブを幾つか運営するというものだ。
もう1つの選択肢は、報道機関の看板だけはかけ続けるが、報道以外の事業を幾つか構築し、それらを収益の柱とするということだろう。
著者注:本として出版するための原稿ですが、未完成なものです。間違いの指摘やご意見をいただければ幸いです。「過去エントリをそのまま記録として残すべきだ」「細かな修正を加えるたびにPINGが飛び、RSSリーダーにほぼ同じ原稿が表示されるので困る」などという意見をいただきましたので、ご意見、ご指摘をいただいても、エントリ自体を修正しないことにしています。ですが、建設的なご指摘、ご意見は、最終原稿に必ず反映させるつもりです。繰り返しになりますが、本エントリは未完成原稿です。引用を希望される場合は、脚注にある原典に当たられることをお勧めします。
参考「本を書きます」
このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。
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今後の傾向は、記事の有料化と、ネット企業対抗
http://kusanone.exblog.jp/3023855/
2006-01-15T04:56:52+09:00
2006-01-15T04:56:52+09:00
2006-01-15T04:56:52+09:00
tsuruaki_yukawa
本の原稿
同じような考えを持っている人たちとの意見交換だから、自分の漠然とした思いに自信を持つ。やはり以前から考えていることは正しいのだと、それを実行に移す。
▼1つは有料化
経営者層が以前から考えていることとは何だろう。新聞業界の場合だと、1つはニュースの有料化である。
「ネット上でニュースを無料で出したことが間違い。愚策だ」と怒るベテラン記者を何人か知っている。新聞協会の会合でも、ニュースを有料にすべきだ、という意見がよく出るという。純粋に広告で運営されているテレビ局と違って、新聞社は購読料、通信社は配信料という形でニュース記事を販売している。今まで代金を得ていたものだから、無料で出していることに抵抗感があるのだろう。
ネット上で無料でニュースが読めるので、新聞が売れなくなったという思いもあるだろう。
具体的にどういう形を取るのかは、それぞれの社によって異なるだろうが、ニュースの有料化、もしくは有料化に向けた具体的検討ということが、これからの1つの傾向になるように思う。
経営者がやりそうなもう1つのことは、ネット企業への対抗である。
2005年のライブドアや楽天による既存メディア企業買収騒動は、既存メディア関係者を驚愕させた。ネット産業はいつの間に、われわれを買収しようと思うほど大きくなったんだー。多くの既存メディアにとって、ネット企業による買収騒動は、まさに晴天の霹靂だった。
しかも現状をみると、ネット企業へ記事を配信している。今までは紙の新聞の事業や電波を通じた放送事業が本業で、ネット事業をおまけのような存在だったら、別にそんなことは気にならなかった。しかしこれからネット事業を収益の柱にするのであれば、いつまでも下請業者のような立場に甘んじているわけにはいかない。
これからは明らかにネット企業へのライバル意識をむき出しにした新事業を次々と打ち出してくるだろう。ネット事業で同業他社や関連企業と手を組むことも増えるだろう。事実、2005年には、TBS、フジテレビ、日本テレビ、テレビ朝日、テレビ東京の在京キー局と電通は、インターネット上の映像コンテンツ配信に関する事業会社設立に向けて共同検討を開始した、と発表している。発表文を読んでも、どのような具体的なアイデアがあるのかは書かれていない。まず手を組んでネット企業に対抗する、という目的から、とりあえず動き出したということろだろう。今後、新聞業界が同様の共同戦線戦略に乗り出しても何の不思議もないと思う。
▼左手で握手、右手はこぶし
とはいってもネット企業とメディア企業がすぐにでも全面戦争を始めるのか、といえば、そんなことはないと思う。新聞記事を始めとするメディアコンテンツは製作コストがばかにならない。ネット企業にとっては、自分たちで作るより、メディア企業から仕入れたほうが余程安くつく。メディア企業は、コンテンツ配信料の値上げを含む共存共栄策をメディア企業に提示するなどして、これまでの関係を維持していこうとするだろう。
メディア企業にとっても、ネット企業ほどのネット事業のノウハウを持っていないので、当面はネット企業とうまくつきあっていくしかない。左手で握手しながら、いつでも相手を殴れるように右手はこぶしを握りしめる。全面戦争の可能性を秘めたそんな緊張関係が、あと何年かは続くだろう。
ただ言えることは、既存メディア、特に大手の経営者、中堅幹部には、これまで自分たちが情報市場、情報ハブを押さえてきたというプライドがある。メディア事業において新参者のネット企業の軍門にくだることは、そのプライドが許さない。大手メディア企業とネット企業が衝突する日は、いずれくるだろう。
その際に、大手メディアは自分の持つ流通経路上のメディアコンテンツの流通を制御する手に打って出るだろう。ただその制御の仕方を間違えば、情報の出し手やコンテンツ製作者が、読者や視聴者と直接結びつこうとする可能性がある。
時代の変化を理解し、自らそれに合わせて変革できる企業は生き残るだろうし、変化を拒む企業は津波に飲み込まれてしまう。これまで多くの業界で見ることのできた光景が今、マスメディア業界でも始まろうとしている。
脚注:電通の発表文「インターネット上の映像コンテンツ流通を活性化するための事業会社設立に向けて共同検討を開始」
http://www.dentsu.co.jp/news/release/2005/pdf/2005063-1128.pdf
著者注:本として出版するための原稿ですが、未完成なものです。間違いの指摘やご意見をいただければ幸いです。「過去エントリをそのまま記録として残すべきだ」「細かな修正を加えるたびにPINGが飛び、RSSリーダーにほぼ同じ原稿が表示されるので困る」などという意見をいただきましたので、ご意見、ご指摘をいただいても、エントリ自体を修正しないことにしています。ですが、建設的なご指摘、ご意見は、最終原稿に必ず反映させるつもりです。繰り返しになりますが、本エントリは未完成原稿です。引用を希望される場合は、脚注にある原典に当たられることをお勧めします。
参考「本を書きます」
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熱心な若手、無関心な40代
http://kusanone.exblog.jp/3014890/
2006-01-13T17:49:09+09:00
2006-01-13T18:07:22+09:00
2006-01-13T17:49:09+09:00
tsuruaki_yukawa
本の原稿
さてそれでは、これから新聞やテレビといったマスメディア企業はどのようなビジネスモデルを追求していくのか、追求していくべきなのかを考えてみたい。
ビジネスモデルのことを話していると、一部の既存メディア関係者から「市場の論理を優先したり、金儲けのことばかり考えていては、ジャーナリズムの質が低下しないか」という質問というか反論を必ず受ける。そういう人は、恐らく今後も既存メディア企業の経営基盤が安泰だと思っているのだろう。安泰であるならば、市場の論理を優先する必要はない。
しかしインターネットの津波は、金融業界、通信業界を飲み込んだあと、次はマスメディア業界に向かっている、というのがわたしの認識である。津波に飲み込まれたあとの経済基盤の構築を準備しなければ、ジャーナリズムの質が低下するどころか、ジャーナリズムを実践できなくなるのではなかろうか。既存メディア企業は、今こそ新しいビジネスモデルを検討しなければならないと思う。
▼熱心な30代、無関心な40代
既存メディア企業の中で最も早く危機感を持ったのは、30代以下の若手だった。新聞業界の主に若手で構成する労働組合団体の日本新聞労働組合連合(新聞労連)は1996年から議論を続け、98年に「新聞が消えた日―2010年へのカウントダウン」という本を出版している。
そして新聞労連の青年女性部は2004年1月に徳島で全国学習交流会を開催。そのときのテーマは「本日廃刊・・・となる前に」というものだった。
新聞労連はまた2005年6月に東京で産業研究学習会を開催し、電子メディア事業に関する情報収集と意見交換を行っている。
労働組合は普通、経営戦略にまでは立ち入らないものだ。経営陣が明日に向けた戦略を立案できないのなら、自分たち若者で立案する、ということなのだろう。
そんな新聞労連の関係者の中から有志が集まって、地方メディアの近未来像を探ろうと、ネット上のコミュニティーサイト「ミクシィ」内に「ローカルメディアネットワーク」いうサークルを立ち上げている。関係者によると、このサークルの中での議論を通じて、ローカルコミュニティーサイトを中心とした新しいビジネスモデルの骨格がかなりできあがってきているようだ。
そのサークルのメンバーが中心になり、2005年11月のある週末に東京で勉強会を開催した。「TOKYOツーデイズ/緊急キックオフ座談会」という名称で、テーマは「~ネット社会で生き抜くための地方紙のあり方とは~新聞社と生活者とのネットワークコミュニティーづくりへの道程」というものだった。
この勉強会にわたしも参加させていただいたのだが、会場となった都内のネット企業の会議室には、十数社の地方紙関係者ら数十人が集まって熱気ムンムンとなった。またテレビ会議システムを北海道、仙台、神戸、沖縄につなぎ、それぞれの会場に集まった地方紙関係者とも熱い議論を行った。
驚いたのは、ほとんどの参加者が、この勉強会に参加するに当たっての資金援助を、所属する新聞社からまったく受けていないということだった。参加者の東京までの交通費、宿泊費はすべて自己負担。社の援助がなくとも、身銭をきってでも、自分たちの会社、業界を守るために何をすべきかを見つけたいという人たちの集まりだった。議論が熱くなるのも当然だった。
次に危機感を持ったのは、経営者層だった。2005年の秋くらいだろうか。新聞業界の業界紙などの経営者インタビューの中でインターネットを意識した発言が目立つようになってきたと思う。また社長直轄のネット関連の勉強・研究組織ができた、というような話をあちらこちらで耳にするようになった。
最後まで危機感を持っていないのが、層としては40代、50代だろう。中間管理職として会社や業界を引っ張っていかなければならない層だ。もちろん熱心な人もいるが、圧倒的多数がネット事業には無関心だ。
ある新聞社で「これからの新聞社経営とは」というテーマで講演させてもらったことがある。主にネットの現状とビジネスモデルについてお話させていただいた。講演が幹部研修の一環ということもあって、参加者のほとんどが40代、50代。1時間ほどの講演だったが、途中で多くの人がうつらうつらし始めた。講演後も質問がほとんどでなかった。熱気いっぱいだった地方紙若手の勉強会の雰囲気とは、本当に対照的だった。
▼急に関心を持ち出した経営層が打ち出しそうな手
さて既存メディア企業にとって、どのようなビジネスモデルが有効なのだろうか。わたし自身、考えがないわけではないが、わたしの考えを述べる前に、既存メディア企業は今後どのような手を打って出そうか。そうすることで業界の勢力図はどうなるのか、ということを頭の体操として予測してみたい。
現状は先に述べた通り。ネット事業にもっとも詳しいのは若者で、経営者もネット事業に関心を持ち始めてきた。中間管理職は、いまだにほとんど関心を持っていない。
こういう状況だとどういうことが起こるか。あり得るシナリオを想定してみよう。
著者注:本として出版するための原稿ですが、未完成なものです。間違いの指摘やご意見をいただければ幸いです。「過去エントリをそのまま記録として残すべきだ」「細かな修正を加えるたびにPINGが飛び、RSSリーダーにほぼ同じ原稿が表示されるので困る」などという意見をいただきましたので、ご意見、ご指摘をいただいても、エントリ自体を修正しないことにしています。ですが、建設的なご指摘、ご意見は、最終原稿に必ず反映させるつもりです。繰り返しになりますが、本エントリは未完成原稿です。引用を希望される場合は、脚注にある原典に当たられることをお勧めします。
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メディアの価値は情報ハブとしての価値
http://kusanone.exblog.jp/3009334/
2006-01-12T18:00:00+09:00
2006-01-13T07:49:09+09:00
2006-01-12T17:46:08+09:00
tsuruaki_yukawa
本の原稿
情報伝達媒体としての紙の役割が減少していくとしても、それは比較的ゆっくるとした減少のようだし、ここ何年かで紙の新聞がなくなるということはないだろう。何十年後もどこかでだれかが紙の新聞を印刷し配達していることだろうと思う。
だからそういう意味では「紙の新聞はなくならない」。「それでも新聞はなくならない」とことあるごとに強調したがる一部新聞関係者の主張は、そういう意味では正しい。
しかしわたし自身は、そういう意味での「紙の新聞はなくなるか、なくならないか」の議論は、やっても無意味だと思っているし、実は関心もない。
「新聞がなくなる日」を書いた元毎日新聞編集長の歌川冷三さんは、彼の言う「新聞がなくなる日」は、大新聞社の現在のビジネスモデルが崩壊する日、大新聞社の経営に赤信号がともる日のことだと言う。
そして、発行部数や広告収入の減少傾向をみる限り、大新聞社の経営に赤信号がともる日が、数年後にもくるかもしれない、と予測する。
新聞関係者が関心を持たなければならないのは、赤信号がともる日が本当にくるのか、くるとすればいつなのか、ということだと思う。
わたしは新聞社の発行部数や広告収入のことをよくしらないので、この辺りの予測はできない。ただもし歌川さんの読みが正しければ、日本の商業ジャーナリズムの地殻変動が目前に迫っていることになる。
商業ジャーナリズムが壊滅状態に陥っても、草の根ジャーナリズムが機能してくれればいい。ただ草の根ジャーナリズムの可能性は、まだ未知数だ。わたし自身が商業ジャーナリズムに身を置いているということもあるが、やはり商業ジャーナリズムの新しいビジネスモデルも検討しておくべきだと思う。
▼新聞「牛丼」論
争点となることが多いもう一つの点は、メディアの価値はどこにあるのか、ということだ。
新聞の価値とは、ニュースの価値である。多くの新聞記者はそう考えている。わたし自身も自分の書いた記事が価値の高いものであってほしいと思っている。しかし実際に新聞記者以外の人はどう考えているのだろう。
新聞は牛丼のようなものである、という説を聞いたことがある。最初に提唱したのは、金融情報ベンダー、フィスコの三木茂社長らしい。
吉野屋、松屋と牛丼はいろいろあるが、味は微妙に違う。吉野屋の牛丼が好きな人もいるし、松屋の牛丼でなければだめ、という人もいる。だが食材は、肉、玉ねぎ、ご飯、とだいたいどこも同じ。味で牛丼を選ぶのだが、お腹をいっぱいにしてくれるのは調味料ではなく、ご飯などの食材だ。店舗があちらこちらにあって便利だし、注文すればすぐに牛丼が出る、というサービスもいい。そうした便利さ、サービスも含めての、お代300円ということだ。
新聞も朝日、読売、毎日、産経と、論調は微妙に違うものの、テレビ欄など同じ情報も結構載っている。広告のチラシが好きという読者も多い。そうした総合的な情報のパッケージが毎朝、家に届けられるというサービスがいい、という意見もある。
「新聞を牛丼に例えるな」と誇り高き新聞記者からしかられそうだが、要は新聞も牛丼もサービスまで含めたパッケージに価値がある、ということだ、
▼メディアの情報ハブとしての価値
わたしは新聞やテレビといったメディアの価値を、別の角度から見ることがある。1つのメディアの価値は、個々の情報コンテンツの価値を合わせたものを上回っているのではないか、と思うのだ。つまり新聞やテレビといったメディアの最大の価値は、情報ハブとしての価値、情報流通市場としての価値ではないかと思う。
わたしは「ネットは新聞を殺すのかblog」というブログを始めるにあたって、知り合いの新聞関係者数十人にお知らせのメールを送った。当然のことながらブログ開始後間もないころのアクセス数は、一日数十人程度だった。
わたしは、新しいジャーナリズムに関係のあるような話なら、とりあえず何でもブログに掲載していった。ブログはあくまで自分の時間に趣味としてするわけだから、会社の名刺を使ってブログのために取材はできない。それでも取材の際に得た関連情報で、公開しても差し支えない情報、すでに本業のほうで記事にして公開情報になっている情報はどんどん掲載した。わたし一人で情報を集め、わたし一人でエントリーを書いた。
半年ほどたってからだろうか。アクセスも増え始めた。1日に数千人から一万人近くのアクセスがある日もあった。このころから、新しい形のジャーナリズムに関する情報がコメント欄やトラックバックで次々と寄せられるようになった。直接メールで情報を寄せてくださる方もいた。
ライブドアが参加型ジャーナリズムのプロジェクトを計画しているという情報も、読者からいただいた。グーグルニュースから、特定の新聞社の記事が消えたり、復活したりするたびに知らせてくださる方もいた。神奈川新聞がニュースサイトをブログ形式に変えたというニュースも、寄せられたトラックバックで知った。
わたしのブログに載せた価値のあるニュースのほとんどは、読者から寄せられたものだった。
わたしの役どころが、情報の出し手から、情報の交通整理係りに変わったのだ。わたしのブログが、新しいジャーナリズムに関する情報のハブになったのだと思う。
情報の交通整理係としての責任もある。ある新聞社に関する情報があるブログに載った。その情報の真偽は分からなかったが十分にあり得る話だし、おもしろい話だったので、リンクを張って簡単に紹介した。ところがその新聞社の関係者から、その情報は間違いであるとの抗議のメールが寄せられた。「湯川さんのブログのように影響力のあるブログがリンクを張るだけで、その情報がまるで本当のように受け取れられてしまうのです」というのだ。情報の交通整理係として情報の真偽を見分けて取捨選択することまで期待されているのだと思った。
わたしの発信する情報の価値以上に、情報ハブとしての価値を持ち始めたのだと思う。
そこにいけば、あらゆる情報が集まってくる。玉石混淆の情報の中から「玉」の情報だけが、クローズアップされている。それが情報ハブである。
新聞やテレビといったメディアも、情報ハブとしての価値が高いのではなかろうか。新潟日報に停電の情報がメールで寄せられたのも、新潟日報が県民の間で情報ハブと認識されているからだろう。停電でどこからも情報を入手できない中で、新潟日報のサイトにいけば情報があるのではないか。ほかの人の情報が参考になったように、自分の情報がほかの人の参考になるのではないか。そう考えた人たちがアクセスし、情報を提供したのだろう。
新聞記事の一本いっぽんに価値がないと言っているのではない。新聞記事が集まることで新聞が情報のハブになり、さらなる情報が寄せられるようになる。情報を取捨選択することにまで価値が生じる。そうすることで、一本いっぽんの記事の価値の合計を超える価値を生み出すのだと思う。
自分の記事を誇りに思う記者には申し訳ないが、情報ハブを形成できなければ記事が生む収益は大幅に低下することになると思う。
▼情報ハブ運営者と情報提供者の力関係
情報ハブという側面からメディア業界のビジネスモデルを大別すると、それは2つしかない。情報ハブの運営者と、情報提供者(コンテンツプロバイダー)の2つである。
どちらのほうが収益率がいいか。
特定の分野で、唯一無二の情報ハブを形成した場合、その情報ハブの運営者は絶対的な影響力を持つだろう。
数年前にNTTドコモが、iモードという閉鎖されたインターネット空間を作り出した。一種の情報市場といっていいだろう。
話を進める前に、混乱を避けるために、「情報市場」と「情報ハブ」のわたしなりの定義をしておきたい。「情報市場」というのは、情報が売買されたり、やりとりされる仕組みのこと、と定義したい。一方の「情報ハブ」は、自然と情報が集まり、交換されるようになる場、サイトのこと、と定義する。最初から情報のやりとりを目的として作り上げられたものを「市場」、自然に発生したものを「ハブ」としたい。よって「情報市場」の中に、分野の異なる複数の「情報ハブ」が自然にできるということは可能だ。
コンテンツプロバイダーとの力関係において、「情報市場」も「情報ハブ」も同じような立場にあるので、ここではドコモのiモードという「情報市場」を例にとって話を進めたい。
さて当時は、iモードが唯一無二の携帯電話インターネットの情報市場だったNTTドコモの本社へ行くと、受け付け前に常に数十人の人たちが列を作って順番を待っていた。情報市場に入れてもらいたいコンテンツ提供者たちだった。この現象は「ドコモ詣」と形容されることがあった。神のように「詣」でられるほど、ドコモは影響力を持っていたわけだ。
その後、auやボーダフォンが参入、携帯電話インターネットの情報市場が複数誕生した。それに伴って「ドコモ詣」も姿を消した。ドコモがiモードに参加させてくれないのなら、コンテンツプロバイダーはボーダフォンへ行く。情報市場運営者とコンテンツプロバイダーの力関係に変化が生じたのだ。
唯一無二の情報市場の中では、コンテンツプロバイダーの力は弱い。反対に、情報市場が複数存在すれば、唯一無二のコンテンツを持つコンテンツプロバイダーの力は強まる。力とは交渉力であり、それはすなわち収益力である。
ほとんどの既存メディア企業は、これまで情報市場や情報ハブを形成してたからこそ、情報が寄せられ、収益を上げることができたのだと思う。
著者注:本として出版するための原稿ですが、未完成なものです。間違いの指摘やご意見をいただければ幸いです。「過去エントリをそのまま記録として残すべきだ」「細かな修正を加えるたびにPINGが飛び、RSSリーダーにほぼ同じ原稿が表示されるので困る」などという意見をいただきましたので、ご意見、ご指摘をいただいても、エントリ自体を修正しないことにしています。ですが、建設的なご指摘、ご意見は、最終原稿に必ず反映させるつもりです。繰り返しになりますが、本エントリは未完成原稿です。引用を希望される場合は、脚注にある原典に当たられることをお勧めします。
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紙はなくなるのか
http://kusanone.exblog.jp/3001382/
2006-01-11T06:38:09+09:00
2006-01-12T17:47:26+09:00
2006-01-11T06:38:09+09:00
tsuruaki_yukawa
本の原稿
まず「紙の新聞がなくなるのかどうか」という問いについて考えてみたい。この問いは「紙という物質の利用価値は、電子機器によって代替しうるべきものか」という問いと「紙の新聞事業は今後も安泰なのだろうか」という問いの2つの意味で議論されることが多い。どちらの意味で議論するかを定めないと、堂々巡りの議論になってしまう。
まず「紙という物質の利用価値は電子機器によって代替しうるべきものか。紙はなくなるのか」という問いについて考えてみたい。
「ネットは新聞を殺すのか」などというタイトルの本を書いたものだから、これまでに何十人、何百人という人からこの問いを投げかけられ、議論を繰り返してきたように思う。「紙はなくなる」派と「なくならない」派の両方と話したが、よくよく聞いてみると、議論の際の前提や定義が異なることが分かる。
そして前提と定義を同じものにすると、みな同じ意見になる。つまり、遠い将来にディスプレーが発達して紙の需要が低下することはあるかもしれないが、予測可能な近未来において紙の利用が一切なくなることはない、という意見だ。この意見に反対する人にわたしは今までお会いしたことがない。
要はディスプレー技術が今どのような段階にあるのか、急速な技術革新が見込めそうなのか、などの事実を把握せずに、この議論はできないということだ。こうした事実の把握こそが、この問いに対する答えであり、それなしには、「遠い未来は分からないが、しばらくはなくならない」以外の答えが出るはずがない。
そこで米国のeインク社という電子ペーパー技術の有力ベンチャーの幹部が来日した際に聞いてみることにした。同幹部によると、電子ペーパーは既に一部実用化されているが、紙のように広く普及するにはまだまだ時間がかかりそうだという。それどころか今後も読みやすさで電子ペーパーやディスプレーが紙を超えることはあり得ないと断言した。「読むための媒体として、紙は本当に優れていると思う」という意外な答えが返ってきたのが印象的だった。
電子ペーパーやディスプレーなどの電子機器と紙の通信簿を比較してみることにしよう。「読みやすさ」という点では、eインクの幹部の言う通り、紙の勝利ということになる。将来においても、紙の優位性が覆ることはなさそうだ。
持ち運びやすさ、モバイル性でも、今のところ紙の勝ちといえる。紙は丸めたり、折り曲げたりすると、どんなサイズの鞄の中にも収まることができる。最高のモバイル媒体だ。
経済性でも紙はかなり優等生だ。しかし電子ペーパーやディスプレーは、書き換えがほぼ無制限に可能。用途によっては、経済性で紙を超えることもあるだろう。
どちらが環境にやさしいだろうか。リサイクルは可能だが、紙は使い捨て。森林資源のことを考えれば、紙のほうが分が悪いかもしれない。
一方、紙にない利点が電子媒体にはある。文字データを音声に変換できることだ。点字に直されたものだけだった目の不自由な人の情報源が、一気に増加することになる。
さて総合点はどちらのほうが上だろう。1つ言えることは、技術革新にともない電子ペーパーなどの電子媒体の総合点は上がる一方だということだ。
ところで紙の出荷量はこのところどのように推移しているのだろう。一時はパソコンが普及すればペーパーレス化が進むといわれた。実際には、紙の出荷量が減っているどころか増えているという統計資料を見たことがある。実際にはペーパーレス社会にはなっていないということだ。
なぜペーパーレスが進展してこなかったのか。1つには、これまではネットワークを通じての文書交換がそれほど便利ではなかったからだ。また「やっぱり長い文章は印刷物でないと目が疲れる」という人がまだまだいたからだと思う。
しかしインターネットが普及してからは状況が異なり始めた。機種の異なるパソコン同士でも、ネットを通じて比較的簡単に文書の交換が可能になった。インターネットを生活の一部として当然存在するものとみなす若い世代は、長い文章でもパソコンや携帯電話の画面で読んでしまう。
また紙を介した情報伝達量の何十倍、何百倍もの情報がペーパーレスで行われている。電子メールだけみても、その情報伝達量は、郵便による情報伝達量をはるかに超えている。それだけ情報のやりとりが幾何学的に増えたのだ。絶対量をみれば紙の需要は減っていないが、相対的にみればペーパーレスが確実に進んでいるといえる。
だから絶対量で紙の需要が減少していないとする主張も正しいし、相対的にペーパーレスが進んだとする主張も正しい。要は、どちらの議論をすべきか、ということだ。製紙産業の未来について考えるのであれば、絶対量の議論をすべきだ。しかし情報を取り扱う業界の未来について考えるのであれば、絶対量の議論はピント外れだと言わざるを得ない。
ちなみに、電子文書システム財団という米国の業界団体は、2020年ごろには絶対量でも紙の需要が減少するという予測している。
また同団体の調査によると、1995年には情報伝達の7割を紙が担い、3割を電子機器が担っていた。それが2010年には、紙が48%、電子機器が52%と逆転する。さらに2020年には紙による情報伝達は全体の35%にまで落ち込み、電子機器による情報伝達が65%にまで拡大すると予測している。
近い将来、紙がなくなることはない。だが情報伝達媒体の主役の座から引き摺り下ろされるこという見方が一般的と言えるだろう。
脚注:電子文書システム財団の報告書「Printing in the Age of the Web & Beyond」
http://www.edsf.org/images/Overview.PDF
著者注:本として出版するための原稿ですが、未完成なものです。間違いの指摘やご意見をいただければ幸いです。「過去エントリをそのまま記録として残すべきだ」「細かな修正を加えるたびにPINGが飛び、RSSリーダーにほぼ同じ原稿が表示されるので困る」などという意見をいただきましたので、ご意見、ご指摘をいただいても、エントリ自体を修正しないことにしています。ですが、建設的なご指摘、ご意見は、最終原稿に必ず反映させるつもりです。繰り返しになりますが、本エントリは未完成原稿です。引用を希望される場合は、脚注にある原典に当たられることをお勧めします。
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読者と記者の境界線をなくせ
http://kusanone.exblog.jp/2995821/
2006-01-10T08:07:00+09:00
2006-01-10T11:25:39+09:00
2006-01-10T11:07:06+09:00
tsuruaki_yukawa
本の原稿
▼新潟日報の斬新な取り組み
新潟が2005年末に大雪で大停電となった際に、新潟日報は同紙のニュースサイト上に読者からの情報提供のページを設けた。パソコンや携帯電話メールを通じて送られてくる読者からの停電に関する情報をそのまま掲載したのだ。実はこれは新聞業界にとって非常に画期的なことだと思っている。
この読者からの情報提供のページには、「10:42 新潟市亀田 信号停止してます」から始まって、「11:09 北越2号金沢行き新津と古津の間で停車中、代行バスを待ってます。代行バスは渋滞でいつなるかわかりません」「11:15 胎内市では、瞬間停電が発生してますが現在は、復電しています。今日は新潟大学の全講義が休講になりました」「15:00 新潟市粟山今電気つきました。うれしいです」「20:31 新潟市松浜。通電して約1時間30分。電気の大切さを痛感。復旧作業中の方々、まだ停電中の方、頑張ってください!」など、約600件の情報が寄せられている。
徳島新聞の元記者で著名ブログ「ガ島通信」を運営する藤代裕之さんは、「新潟停電、新潟日報が読者の声を紹介」というエントリーでこの件を次のように紹介している。
昨年の中越地震の後に、新聞社の記者やメディア担当者(新潟日報ではありません)と話したときに問題になったのは、「読者の情報をそのまま掲載することなんて出来ない」「その情報が正しいかどうか誰が判断するのだ」という議論ばかりでした。1年でずいぶん進んだなと思います。
わたしも同じような感想を持った。わたしはこれまで多くの新聞社の関係者と意見交換してきた。ほとんどすべての国内の大手、中堅新聞社の関係者と議論したことがあるといっても間違いではないと思う。
その中で、ニュースサイトに掲示板をもうけるべきかどうかという議論を報道関係者とすると必ず出る意見がある。「報道機関の発信する情報と混同されるのではないか」「コメント欄の情報に報道機関として責任を持てない」「コメントを報道機関が発信する情報と勘違いされ、訴えられることはないだろうか」・・・。必ずといっていいほどこのような意見が矢継ぎ早に出て、最終的にはニュースサイトに掲示板を設けるべきではない、という結論になる。こういう展開を今まで何度みてきたことだろう。
新潟日報は読者からの情報提供のページに「このページは投稿者からの情報をそのまま掲載しています。ご理解の上、ご利用ください」と掲載している。この但し書き一文だけで十分だと思う。これだけで、報道機関の記事と一般読者からのコメントを混同する人はいない。業界関係者以外の人なら、だれしもそう思うだろう。
報道関係者の感覚は、それほどまでに一般的な感覚とずれているのだ。プロの発信する情報と素人の情報を同列に扱って欲しくないという、屈折した変なプライドが根底にあるのかもしれない。勇気を持って一歩踏み出した新潟日報に敬意を表したい。
▼既存メディアにはないより柔軟な発想
報道機関以外のニュースサイトの発想は、当然ながらより柔軟だ。第2章で紹介した米国のトピックス・ドット・ネットは、2005年10月からブログのエントリーを情報ソースとして取り込んでいる。約1万2000の商業メディアなどからの情報ソースに、約1万5000のブログを情報ソースとして追加したのだ。トピックス・ドット・ネットは、商業メディアの記事も、ブログのエントリーも同格に扱う考え。ただ商業メディアの記事かブログのエントリーかが一目で分かるように表示方法に気をつけているという。
日本でも技術系のニュースサイトはコメントやトラックバックを早くから受け付けるなど、読者からの情報の取り込みに熱心だ。ポータルサイトも、ニュースの記事にコメントやトラックバックを受け付けようとするところが増えている。
2005年の衆議院選挙の際に「グリップブログ」といブログが、政党の党首などに果敢に取材を申し込み注目注目を集めた。このブログを運営する泉あいさんは、取材の企画段階からそのプロセスをブログ上で公開した。アポ取りなどの様子も公開しており、取材相手に聞いてもらいたい質問を泉さんに前もって送っておくことも可能だ。
拙著「ネットは新聞を殺すのか」の中でも紹介したが、米国のブログブームの火付け役の一人、デーブ・ワイナーさんに、これからの報道機関の形はどうあるべきかを聞いたことがある。ワイナーさんは、もし自分が新聞経営者なら次のようにする、と語ってくれた。
まず記者全員にブログを開 設するように命じます。それから読者にもブログを開設するように勧めます。エディターに記者と読者のブログの両方を読ませ、エディターのブログ上で面白いニュースへリンクを張らせるようにします。記者の情報、読者の情報は問いません。重要な方、面白い方の情報にリンクを張るわけです。読者と同じ程度の情報量や分析力さえ持たない記者のブログにはリンクが張られなくなる。その記者は廃業です。読者が集めてこれない情報、オリジナルな視点、解説を提供できる記者だけが生き残れるのです。これが読者を巻き込んだ新しいタイプのジャーナリズムの形です。
エディターの役割は、図書館の司書や、タレントスカウトのようなものになるわけです。
今、米国の地方紙の多くは財政難で地元の市議会の動きをカバーしきれていない。そういうところは一般読者に情報を集めてもらいブログで情報を発信してもらえばいい。
もちろんその読者が政治的に右か左の傾向があるかもしれない。もし右の傾向があれば、左の読者が出てきてブログで市議会の動きを報じ始めるでしょう。あらゆる思想の持ち主が情報発信することで全体のバランスが保たれるようになるわけです。
別の言い方をすれば、編集権をコミュニティーの中に分散するわけです。コミュニティーのメンバーに地元政治や文化活動により積極的に参加してもらう。また一般大衆は、手軽に参加できる手段があれば参加したいとも思っているもんなんです。
一般大衆が政治に無関心だといわれるのは、どうせ自分の意見が政治に影響を与えることはないとあきらめているからです。本当は意見を言いたい。世の中を変えたいと切望しています。
単純労働を仕事にする人の中には知的な活動をしたい人も多い。一般大衆の中にはいい知識や知恵がたくさん埋もれているんです。
そうした市民の中のジャーナリストを増やすことで新聞社は情報の質と量を高めることができる。そしてそうなれば、ろくに仕事をしないプロの記者を解雇すればいい。
ブログを積極的に利用することは新聞社にとって非常にプラスになるはずです。もし新聞社がブログを利用しなかったとしても、ブログを使った大衆ジャーナリズムの動きは止まらないでしょう。コミュニティーのブログの中に新聞に代わる中心的な役割を果たすブログが幾つか誕生し、どこに有益な情報があるかを示すようになるでしょう。中心的な役割のブログ同士は常に競争関係にあり、1社や1人がその地方の情報の門番の役割を独占するという事態は終わるでしょう。
アマチュアのジャーナリストが影響力を持つようになるのは事実。でもプロのジャーナリストが生き残れないわけではない。もしプロのジャーナリストや報道機関が情報の門番として情報の経路を独占するという現状を改め、一般大衆に情報を発信する機会を積極的に与えれば、一般大衆は報道機関の仕事に対して引き続き代価を支払い続けるでしょう。
門番として情報を独占し、必要以上に問題を簡単な図式に置き換え、より多くの情報を必要とする読者に対しても十分な情報を与えないままでは、報道機関は一般大衆からよりかけ離れた存在になるでしょう。
わたしも新聞の未来の形は、こういったものに近いのではないかと考えている。
果たして日本の報道機関は、このような柔軟な発想を取り入れることができるのだろうか。
わたしはまず記者ブログから始めればいいと思っている。字数の制限で記事には書けなかったという情報の中で公開していいものは、どんどん公開すべきだろう。新聞記事はコンパクトに事実をまとめなければならないのなら、ブログで記者の人間味にあふれた文章を書けばいい。
第一線の取材記者は忙し過ぎてブログなど書いていられない。一件落着していないのに取材のプロセスを更改することなど無理・・・。いろいろな反論があるかと思う。
ちなみに韓国の朝鮮日報は、記者全員にブログを半ば強制的に持たせている。朝鮮日報のイム・ジョンウク記者によると、中には、いやいやブログを続けている記者もいるようだ。ブログのエントリーが原因の名誉毀損の裁判も幾つかあるようだが、あくまでもブログを書いた記者本人の責任になり、基本的に新聞社は関与しない方針らしい。また朝鮮日報では読者向けのブログホスティングも運営している。読者ブログの中には朝鮮日報に批判的なエントリーばかりを書いているものもあるようだが、イム記者は「朝鮮日報に批判的なエントリーはキラー(目玉)コンテンツになっている」と笑う。
日本の報道機関が一足飛びにそこまでいけるとは思えないので、まず編集委員、論説委員クラスがブログを始めてはどうかと思う。
とにかくどういう形がいいのか、日本という文化風土に合ったものなのか、試行錯誤を続けるしかないと思う、記者と読者の境界線のない新しいジャーナリズムの形を目指して。
脚注:新潟日報の停電に関する読者からの情報を集めたページ「新潟県内大停電」
http://www.niigata-nippo.co.jp/teiden/teiden.html
ガ島通信「新潟停電、新潟日報が読者の声を紹介」
http://d.hatena.ne.jp/gatonews/20051222/1135231879
著者注:本として出版するための原稿ですが、未完成なものです。間違いの指摘やご意見をいただければ幸いです。「過去エントリをそのまま記録として残すべきだ」「細かな修正を加えるたびにPINGが飛び、RSSリーダーにほぼ同じ原稿が表示されるので困る」などという意見をいただきましたので、ご意見、ご指摘をいただいても、エントリ自体を修正しないことにしています。ですが、建設的なご指摘、ご意見は、最終原稿に必ず反映させるつもりです。繰り返しになりますが、本エントリは未完成原稿です。引用を希望される場合は、脚注にある原典に当たられることをお勧めします。
参考「本を書きます」
このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。
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マスコミ批判は期待の裏返し
http://kusanone.exblog.jp/2983825/
2006-01-08T06:06:44+09:00
2006-01-08T06:29:43+09:00
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tsuruaki_yukawa
本の原稿
とは言っても、ブログを始めてから2年余りの間に、コメントを勝手に削除したことは一度もない。またマスコミは読者、視聴者と対話すべきだという考えも変わっていない。2ちゃんねるが、ジャーナリスティックな活動することもあるという思いも同じだ。匿名でわたしを攻撃してくる人たちを卑怯だと思っても、匿名性はネット文化に不可欠であると考えている。
わたし自身、過去に書いた新聞記事のほとんどが無記名だった。無記名のまま、時には企業や個人を攻撃した。攻撃された企業や個人のほとんどは反論してこなかった。それはそうだろう。わたしはペンという武器を持っていた。彼らは素手だ。よほど力のある企業や個人でない限り、彼らは泣き寝入りするしかなかった。
もちろんわたしはできる限り公明公正であろうと努めた。しかしすべての記事において、神のごとく公明公正でありえただろうか。
まただれかを批判できるほど、自分は優れた人物なのだろうか。わたしに誤解され批判されて、悔しい思いで泣き寝入りした人が過去に何人もいたのではなかろうか。
自分のブログのエントリーを誤解され、批判され、非常に悔しい思いをする中で、自分の過去の記者活動を省みている自分がいた。コメント欄を荒らす人たちを批判する資格が自分にあるのだろうかという思いが強くなった。
わたしはマスコミ業界の公的な窓口ではない。マスコミ業界への不満をわたしにぶつけられても困るという思いがないわけではない。しかしマスコミ業界に対する不満を一人のマスコミ関係者にぶつけなければならないほど、マスコミはその門戸を閉ざしているのかもしれない。マスコミとの対話が困難だからこそ、一人の記者ブロガーに苦情を言うしかないのではなかろうか。
そうであるならばマスコミで生きる人間として、マスコミ全体に対する批判から逃げてはいけないと思った。だれかが読者、視聴者との対話を始めない限り、既存マスコミに明日はないと思うからだ。
わたしはマスコミ関係者向けの原稿や講演の中で、視聴者、読者との対話を始めることの重要性をこれまで何度も説いてきた。「本当に読者は対話を求めているのか」。ある新聞社の幹部が聞いてきた。その新聞社のサイトに寄せられるのは、罵詈雑言のメールがほとんどだという。「とても対話できるような状況ではない」と彼は顔をしかめた。
新聞側が長年に渡り対話を事実上拒否してきたのだ。読者側に感情が鬱積しているのは当然のことだろう。感情が一通り出尽くさない限り、本当の対話は始まらないと思う。また批判は期待の裏返しである。期待しているからこそ、期待が裏切られたという怒りの声が届くのだろう。それに批判は価値ある情報を流したという証拠だ。本当につまらない記事には、批判もつかない。
今は罵詈雑言が主流だが、読者は対話を求めているし、いずれ建設的な対話できる日がくる。わたしそう思っていた。その漠然として思いは、2005年2月に確信に変わった。神奈川新聞が日本で初めてニュースサイトをブログ化したときのことだった。記事への直接リンクを禁止する新聞社が多い中で、神奈川新聞はリンクはもちろんのこと、コメントやトラックバックの仕組みまでもサイトに搭載したのだ。このニュースはネット上を駆け巡り、多くの絶賛のコメントが同サイトの編集部のブログに寄せられた。
幾つか紹介しよう。
「今回の偉大なる挑戦に拍手を送ります。是非とも新しいマスコミのスタイルを確立してください。応援してます」
「思い切って舵を切られたなあと思いました。良くも悪くも『新聞社らしさ』を払拭したデザインに、大きな拍手を送ります。ガンバレ!」
「マスメディアには、辛口の立場なのですが、今回のチャレンジは拍手かっさいです。ちょくちょく拝見させていただきますです」
「いい度胸です、感心しました。これからのさらなる発展を期待します」
「双方向型の情報発信基地、大賛成です。 こういう形態が今後のマスコミのスタイルになると思ってましたが、地元神奈川が最初ということで嬉しく思います。 頑張って下さい。応援しています」
「地元の新聞社がこんなに新鮮な双方向情報基地になって、びっくりしています。これからいろいろな形で参加させていただきたいと願っています。スタッフの皆さん、倒れないように頑張ってね」
「こんばんわ。神奈川新聞というと銀行の待ち時間に読むぐらいでしか見ませんでしたし知りませんでしたが、こんな新鋭なところだったんですね。四月に横須賀に帰るついでに泥仕合中の某大手から乗り換えてみます。このウェブログも双方向性を活かした活気あるサイトになるといいですね。期待しています」
「前人が踏み入れたことのない新しい世界に臨むスタッフみなさんの心のたかぶりが伝わり、せつない気持ちにさえなります。一方通行、書きっ放しではない、読者と交流しながら作り上げて行くまったく新しい良心的なメディア。期待しています」
わたしはこれまで新聞というメディアに対して、ネット上でこれほど多くの暖かい激励のコメントが送られたのを見たことがない。寄せられたコメントの確認作業をしていた神奈川新聞の女性マネジャーはパソコンに向かいながら涙を流したという。同じ業界にいるというだけで、わたしまで胸が熱くなる思いだった。
やはり読者は新聞との対話を望んでいるのだ。ネットを使ったこれからのジャーナリズムは、「対話」がベースになる。こうした思いがますます強まった。
神奈川新聞の試みは、全国のマスコミ関係者の注目を集めた。読者、視聴者ともっと対話しなければならないという思いは、マスコミ関係者の間に静かに広がりつつある。
脚注:カナロコ編集部・スタッフブログ「新装開店、ご感想は」(2005年2月1日)
http://www.kanalog.jp/staff/entry_1155.html
著者注:本として出版するための原稿ですが、未完成なものです。間違いの指摘やご意見をいただければ幸いです。「過去エントリをそのまま記録として残すべきだ」「細かな修正を加えるたびにPINGが飛び、RSSリーダーにほぼ同じ原稿が表示されるので困る」などという意見をいただきましたので、ご意見、ご指摘をいただいても、エントリ自体を修正しないことにしています。ですが、建設的なご指摘、ご意見は、最終原稿に必ず反映させるつもりです。繰り返しになりますが、本エントリは未完成原稿です。引用を希望される場合は、脚注にある原典に当たられることをお勧めします。
参考「本を書きます」
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