2006年 06月 13日
本が出ます |
けろやんブログを通じて、自分の本の予約販売が始まったことを知る。
6月24日発売だそうです。本のタイトルは「ブログがジャーナリズムを変える」です。ブログ「は」ジャーナリズムを変える、だと思っていた。NTT出版の社長の鶴の一声で決まったそうです。まあ僕の提案だった「メディアの融合と参加型ジャーナリズム」というインパクトのないタイトルよりはましか。
ただ自分としては、ブログがジャーナリズムを変える完璧なツールだとは思っていない。個人の情報発信、消費者発信メディア(CGM)がジャーナリズムを変えることは間違いない。CGMの歴史の中では、ブログはあくまでも過渡期的なツールだと思う。というのは、まだまだネット上の言論空間は未成熟だし、ブログを通じた議論は健全なものばかりではないからだ。
それでもブログというツールには非常にお世話になったという思いが強い。ブログを通じて多くのことを得た。
僕は幼いころから非常に傲慢な人間だった。思い上がりが激しく、周りの人間に嫌な思いをさせたことも多かったと思う。「尊敬する人は」という質問に「尊敬に値する人間になど出会ったことがない」というクソ生意気な発言を繰り返してきた。
しかしブログを通じて、尊敬できる人間に数多く出会えた。その数ざっと、20人。文章力の優れた人、発想の豊かな人、分析力のある人、心の清らかな人、前向きな人、人を元気にする文章を書く人、人生を楽しく生きている人・・・。それぞれに異なるすばらしさを持ったブロガーたちだ。ほとんどの人は僕より年下だ。多くの人は社会的に無名で、実名が分からない人もいる。それでもこの人たちは、僕に生きる活力を与えてくれる心の師である。
またこのブログを通じて多くの友人を得た。このブログを通じて勉強会に呼ばれたりすることで、実際にお会いした人だけでも何百人にも上る。多くの人と心の通ったおつきあいをさせていただいている。この週末も佐賀に出かけて、ブログを通じてできた友人たちと楽しいひとときを過ごしたばかりだ。こうした友人たちは、僕のかけがえのない財産になっている。
そして何よりも、この本は、こうした友人や読者なしでは存在し得なかった。
「ネットは新聞を殺すのか」という本を出したあと、結論が中途半端であるという批判を多くの方からいただいた。「ネット・・・」では、メディアはネットというトンネルの中に入ったということは指摘できたが、その出口がどこにあるのかを示せなかった。出口を示す責任があるという濱田さんの言葉に背中を押されてこのブログを始めたのが2年前の5月。答えが見つかるのか不安はあったが、とりあえずこのブログで情報発信を始めた。
最初は自分で情報を集めてきた。しかししばらくすると読者からいろいろな情報が集められるようになった。グーグルニュース、ライブドアPJ、カナロコなど、このブログが取り扱ったこれらのニュースは、すべて読者からの情報提供がもとになった。
参加型ジャーナリズムに関する知見も、ほとんどが読者との議論の中で固まってきたものだった。
本の原稿をすべてこのブログにアップし、多くの人から意見をもらった。事実関係の修正はもとより、文章のスタイル、内容まで、多くの読者の意見を参考にさせていただいた。本は3部構成になっているが、1部と3部で文章のトーンが違うのは「未来予測よりも自分の心情の吐露を」という読者からの指摘を受けながら書き続けたからだ。
つまりこの本は読者のみなさんのおかげで発行できるようになった。というより読者のみなさんのインプットなしでは、成立しなかった。みなさん、2年間にわたいり本当にありがとうございました。心からお礼申し上げます。
僕の興味の対象は、ブログというツールからポッドキャスティングに移行し、参加型ジャーナリズムやメディアの融合というテーマから、メディア周辺産業の近未来というテーマに拡大しつつある。メディアの変化に伴い、広告、マーケティング、広報、物販といったメディア周辺産業も変わる。そしてメディア周辺産業の変化はまた、メディア自体を変える。文化、社会を変えると思う。そう思うからだ。
それでもブログというツール、参加型ジャーナリズムというテーマからは、いろいろな贈り物をいただいたと思う。
みなさん、本当にありがとうございました。
6月24日発売だそうです。本のタイトルは「ブログがジャーナリズムを変える」です。ブログ「は」ジャーナリズムを変える、だと思っていた。NTT出版の社長の鶴の一声で決まったそうです。まあ僕の提案だった「メディアの融合と参加型ジャーナリズム」というインパクトのないタイトルよりはましか。
ただ自分としては、ブログがジャーナリズムを変える完璧なツールだとは思っていない。個人の情報発信、消費者発信メディア(CGM)がジャーナリズムを変えることは間違いない。CGMの歴史の中では、ブログはあくまでも過渡期的なツールだと思う。というのは、まだまだネット上の言論空間は未成熟だし、ブログを通じた議論は健全なものばかりではないからだ。
それでもブログというツールには非常にお世話になったという思いが強い。ブログを通じて多くのことを得た。
僕は幼いころから非常に傲慢な人間だった。思い上がりが激しく、周りの人間に嫌な思いをさせたことも多かったと思う。「尊敬する人は」という質問に「尊敬に値する人間になど出会ったことがない」というクソ生意気な発言を繰り返してきた。
しかしブログを通じて、尊敬できる人間に数多く出会えた。その数ざっと、20人。文章力の優れた人、発想の豊かな人、分析力のある人、心の清らかな人、前向きな人、人を元気にする文章を書く人、人生を楽しく生きている人・・・。それぞれに異なるすばらしさを持ったブロガーたちだ。ほとんどの人は僕より年下だ。多くの人は社会的に無名で、実名が分からない人もいる。それでもこの人たちは、僕に生きる活力を与えてくれる心の師である。
またこのブログを通じて多くの友人を得た。このブログを通じて勉強会に呼ばれたりすることで、実際にお会いした人だけでも何百人にも上る。多くの人と心の通ったおつきあいをさせていただいている。この週末も佐賀に出かけて、ブログを通じてできた友人たちと楽しいひとときを過ごしたばかりだ。こうした友人たちは、僕のかけがえのない財産になっている。
そして何よりも、この本は、こうした友人や読者なしでは存在し得なかった。
「ネットは新聞を殺すのか」という本を出したあと、結論が中途半端であるという批判を多くの方からいただいた。「ネット・・・」では、メディアはネットというトンネルの中に入ったということは指摘できたが、その出口がどこにあるのかを示せなかった。出口を示す責任があるという濱田さんの言葉に背中を押されてこのブログを始めたのが2年前の5月。答えが見つかるのか不安はあったが、とりあえずこのブログで情報発信を始めた。
最初は自分で情報を集めてきた。しかししばらくすると読者からいろいろな情報が集められるようになった。グーグルニュース、ライブドアPJ、カナロコなど、このブログが取り扱ったこれらのニュースは、すべて読者からの情報提供がもとになった。
参加型ジャーナリズムに関する知見も、ほとんどが読者との議論の中で固まってきたものだった。
本の原稿をすべてこのブログにアップし、多くの人から意見をもらった。事実関係の修正はもとより、文章のスタイル、内容まで、多くの読者の意見を参考にさせていただいた。本は3部構成になっているが、1部と3部で文章のトーンが違うのは「未来予測よりも自分の心情の吐露を」という読者からの指摘を受けながら書き続けたからだ。
つまりこの本は読者のみなさんのおかげで発行できるようになった。というより読者のみなさんのインプットなしでは、成立しなかった。みなさん、2年間にわたいり本当にありがとうございました。心からお礼申し上げます。
僕の興味の対象は、ブログというツールからポッドキャスティングに移行し、参加型ジャーナリズムやメディアの融合というテーマから、メディア周辺産業の近未来というテーマに拡大しつつある。メディアの変化に伴い、広告、マーケティング、広報、物販といったメディア周辺産業も変わる。そしてメディア周辺産業の変化はまた、メディア自体を変える。文化、社会を変えると思う。そう思うからだ。
それでもブログというツール、参加型ジャーナリズムというテーマからは、いろいろな贈り物をいただいたと思う。
みなさん、本当にありがとうございました。
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by tsuruaki_yukawa
| 2006-06-13 04:51