米テレビ局に訂正を出させたブロガーの実力 |
さて米国のブロガーがテレビ局の報道番組に訂正を出させるまでになったという話。既にいろいろなところで報じられているが、大枠の部分は極東ブログさんがまとめてくれているのでそれをそのまま引用。
米国時間の9月9日CBSテレビの報道番組「60ミニッツ2」(れいのアブグレイブ収容所の拷問映像写真を流した番組だ)が、ブッシュ大統領の兵役に疑問を投げかけた。番組では、ブッシュ大統領はベトナム戦争徴兵を逃れるために、父親の縁故でテキサス州空軍に入隊し、さらに州兵としての兵役義務も十分に果たしていなかったのではないかとの軍歴疑惑を報道した。その際、疑惑を立証する新資料と称するメモが提示された。メモの内容は、ブッシュが州兵時代だったときの上官キリアン中佐によるものとされ、ブッシュの訓練や健康診断を免除したり、評価に手心を加えるよう上層部から圧力がかかったことを記していた。
が、このメモがどうも胡散臭いシロモノで、ブロガーたちは即座にこの検証に取りかかり、偽物であることを証明した。
どういうとろこが怪しかったかということはホットワイヤードの記事からどうぞ。
いくつか疑問点があるなか、懐疑派はまず、この文書に上付き文字が使用されている点を指摘した。たとえば、「111th Fighter Interceptor Squadron」(第111要撃戦闘機部隊)のように、thが上付きになっている部分が2ヵ所ある。Wordのような最近のパソコン用ソフトウェアでは自動的にこのように表記するよう書式を設定できるが、伝えられるところでは、30年以上前のごく普通のタイプライターではこういう処理はできなかったという。もう1つの怪しい点は、使用されているフォントがタイムズ・ニュー・ローマン(あるいは『タイムズ・ローマン』――この2つのフォントをめぐる複雑な歴史を知っているかどうかで呼び方が異なる――になっていることと、プロポーショナル・スペーシングが行なわれていることだ(それぞれの文字の大きさによって印字幅が変わる方式で、iよりwの方が印字幅が広くなる)。一部のアマチュアとプロの文書鑑定家によると、フォントもプロポーショナル・スペーシングも、司令官がこの覚書を書いたとされる時代には一般に利用されていなかったものだという。
このブログでも上付き表記ができないで分かりにくいかもしれないが、要は文字を小さくして上方に表記すること。この疑惑の日本バージョンを無理やり作れば「その文書には難しい漢字の上に平仮名のルビが打たれていました。その当時の印刷技術ではルビを小さく表記することが一般的ではなかったので、この文書が怪しいということになったもようです」ということにでもなるのだろう。
さて問題の文書の偽造疑惑がネット上で取り沙汰されていることはCBSの報道チームの知るところになるが、それでもCBSはこの文書が本物であると主張、一部ブロガーの決め付けや誇張を揶揄するような表現も使ったという。
しかし最終的には、この文書が偽造されているということをCBSも認めざるを得なくなり、20日には正式に謝罪した。
さてこの件について日本のブロガーたちの意見を紹介しよう。まず極東ブログさんから。
おまえはなぜ極東ブログを書く?と自問。答えは、ブログがジャーナリズムを越えていくようすをいち早く見たいからだ。もうちょっと恥ずかしく書くと、米国のブロガーに負けてられねーよ、あいつらに負けたくねーよ、と。劣等感? そうかもなである。そして今、やつら(米国ブロガーズ)はやってくれたよ。既存ジャーナリズムをついにぶっ飛ばした。どこかでブログが既存ジャーナリズムを越えていく分水嶺(Watershed)を見せてくれる日が来るかと思ったが、いよいよかもしえない。
次にBlogになったDiary from Flower Parkさんから。
問題の「60ミニッツ」が放送されてから、bloggerたちによって文書の偽造疑惑が呈示されるまでには24時間もかからなかった。しかし、CBSは 2週間にわたって疑惑を否定し続け、さらにはbloggerたちを批判する発言まで飛び出したとか。しかし、ふたを開けてみればこの通り。(中略) ネットは即時性の高いテレビと違って「蓄積のメディア」という側面を持つ。キャスターにとってbloggerたちは、情報を足で稼ごうとしないくせに声だけは大きい耳障りな奴だという印象なのかもしれないけど、彼らは彼らなりに頑張っている。自らの生活感を大切にし、得意分野から情報を提供する。そして、情報は多くの人によって分析され、蓄積されることによって真実味を帯びる。むしろ、権力を追い詰めることばかりを考えて、庶民の生活感を失ったキャスターのほうが淘汰される対象なのだろう。
CBSは一時期「文書は偽造されていたとしても、内容は真実だ」という弁明をしていたという。なんと苦しい言い訳だろう。出所の分からない情報をマスコミが流せば、それは「虚報」である。もちろん「情報源の秘匿」という大原則も踏まえる必要があるけど、それにあぐらを書いて、権力批判のためならば手段を選ばないというメディアが今後も現れるのであれば、それはネットの力によって浄化されていくに違いない。メディアと受け手の立場がより近づくのは正しい方向性なのだから、歓迎したい。(中略)まだ隠していることがあるのだとしたら、この騒動はしばらくやみそうにありませんぞ。でも、この点に触れている日本のマスコミがまた少ないんだなぁ。ほんと、ネットユーザーを甘く見てませんか?
で植村さんのご意見。
週刊誌ジャーナリズムvs新聞・テレビジャーナリズムという対立構造は,結果的に健全なジャーナリズムにつながっている点もある。ネットが力をつけることで,これからはネットvsマスメディアやブロガーvsプロジャーナリストが,よりはっきりしてくることだろう。
米サンノゼ・マーキュリー・ニューズ、ダン・ギルモア記者の意見。(英語の原文とアサヒコムの日本語訳版の両方がネット上に存在しますが、わたしの下の引用はアサヒコムの転載ではなく、英語の原文をわたし自身が意訳しました。よってアサヒコムの訳とは少し異なります)
確かに疑惑が最初にネット上で持ち上がったということは事実。でも一部ブロガーたちの自慢話や手柄話は少しやり過ぎではなかろうか。ブロガーたちに背中を押されなくても、既存メディアは自分たちでこの問題を追及していたことだろうと思う。とはいうものの今回の件でブロガーは重要な役割を果たしたのも事実。ブロガーがいなくても既存メディアの手によって疑惑は追及されただろうが、ブロガーの活躍で真実解明のプロセスが加速され、そして公の場で展開されたと言えるだろう。(中略)ブロガーの活躍を過大評価するべきではない。しかし過小評価すべきでもない。やはり今回の参加型ジャーナリズムは特筆に値すると思う。もちろん参加型ジャーナリズムが力を発揮したのは今回が初めてというわけではない。2002年に共和党院内総務がその職を失うことになる人種差別問題絡みのスキャンダルの報道のきっかけとなったのはあるブロガーの書き込みだった。
マスコミを監視するということは何も新しいことではない。これまでは1つの報道機関が別の報道機関を監視してきた。そして批判するときは同業者に対する「手加減」があった。今は一般市民がマスコミを監視、批判する。そのやり方には「手加減」はない。ジャーナリストは、事実を隠そうとする取材対象に透明性を求め続けてきた。そして今、ネットのおかげで一般市民がジャーナリストに対して透明性と即時対応を要求するようになった。われわれジャーナリストは、好むと好まざるにかかわらず、この事実を受け入れるしかないのだ。