2004年 10月 19日
毎日記者VSブロガー、険悪ムードから相互理解へ |
cerberusさんから、著名ブロガーと毎日新聞記者の間で、スーダン・ダルフール問題の署名記事への批判に端を発した議論が起こっているとの連絡をいただいた。早速、finalventの日記さんを覗いてみた。議論の発端となったのは毎日新聞の白戸圭一記者の署名記事「スーダン・ダルフール危機」に対するfinalventさんの以下の書き込み。
これに対して、白戸記者本人から次のようなコメントが寄せられた。
売り言葉に買い言葉。これはケンカになるぞと思ったら、議論は案の定、険悪ムードに。finalventさんのコメントから引用。
白戸記者は、これに対して論理的に反論する一方で、
言葉使いは丁寧だが、finalventさんを批判。finalventさんは次のように反論。
しかし二人とも議論を続ける中で、次第にお互いの主張への理解を深め始める。白戸記者は「私の記事が、そのような印象を与えたとするなら、それは私の筆力不足としかいえず、誠に申し訳ございません」と述べ、finalventさんは「白戸さんの今回のコメントでそうしたイデオロギー的な意図から自由であるというように、だいぶ印象を変えました」と応じている。そして最後には「おそらく突き詰めてしまえば、白戸さんと私とではイデオロギーはかなり違うのだろうと思われます。しかし、無意味な誤解は対話によって解けます。私個人としては、有益なインフォをいただけたことと、日本人ジャーナリストが今この歴史に直面されていることは、国粋的な意味ではなく嬉しく思っています」と結んでいる。
白戸記者のように、真面目に読者と会話しようというジャーナリストが存在することをわたしは非常に嬉しく思う。なぜわたしが嬉しく思うのか。それは、この議論を読んだ読者から寄せられたコメントにすべて現れているので、そのコメントを紹介したい。
率直にいうと醜い論説だなと思う。(中略)これは論理飛躍だと思う。というのは反政府勢力の反乱はあった。それに政府側も応戦しなければならなかった。それには民兵導入が必要だった、と、そこまではいい。そこから、どうして住民への虐殺への始まりになるというのだ。
というか、話はそこで隠蔽されているのではないか。私はこの事態は米国同様というわけではないが、特定人種の消滅を計るジェノサイドだと思う。被害者が特定されすぎている。そのことと、反乱軍応戦とはつながらない。
これに対して、白戸記者本人から次のようなコメントが寄せられた。
『「醜い論説」を書いた毎日新聞の白戸です。スーダンのダルフールで起きているのは特定人種の抹殺ではありません。インターネットの世界で空想を膨らましているのではなく、現場へ行かれることをお勧めします。』
売り言葉に買い言葉。これはケンカになるぞと思ったら、議論は案の定、険悪ムードに。finalventさんのコメントから引用。
「空想」といった価値判断を持ち込むべきではないでしょう。むしろ、今回の私の指摘の本質的な部分(中略)にこそ触れるべきではなかったでしょうか。
白戸記者は、これに対して論理的に反論する一方で、
ホームページ開設者の中には、ネットの「匿名性」を利用し、決して実名を名乗らず、記事を一方的に切り捨てるだけのような記述を行う例が散見され(中略)したがって、この日記の執筆者の方には氏名、及び連絡先についてこの日記上で公表されることをお願い申し上げます
言葉使いは丁寧だが、finalventさんを批判。finalventさんは次のように反論。
とりあえず現状で筆名の一貫性は取れますし、一年以上の実績を持っておりその書き上げた発言によって私の筆名への一貫性は取れます。私へのコンタクトは開いていまし、ココログを経由して刑事事件の場合は私の特定も可能です。そのあたりで、現状、開いた(Open)状態として見て頂きたいとは思います。
しかし二人とも議論を続ける中で、次第にお互いの主張への理解を深め始める。白戸記者は「私の記事が、そのような印象を与えたとするなら、それは私の筆力不足としかいえず、誠に申し訳ございません」と述べ、finalventさんは「白戸さんの今回のコメントでそうしたイデオロギー的な意図から自由であるというように、だいぶ印象を変えました」と応じている。そして最後には「おそらく突き詰めてしまえば、白戸さんと私とではイデオロギーはかなり違うのだろうと思われます。しかし、無意味な誤解は対話によって解けます。私個人としては、有益なインフォをいただけたことと、日本人ジャーナリストが今この歴史に直面されていることは、国粋的な意味ではなく嬉しく思っています」と結んでいる。
白戸記者のように、真面目に読者と会話しようというジャーナリストが存在することをわたしは非常に嬉しく思う。なぜわたしが嬉しく思うのか。それは、この議論を読んだ読者から寄せられたコメントにすべて現れているので、そのコメントを紹介したい。
ここ数日のfinalventさんと白戸さんの建設的な対話から伝わる報道への情熱と自省を恐れない勇気に、心より感動しました。今まで、私の中に日本の新聞記者に対する「悪い意味で官僚的」といった偏見があったのですが、白戸さんの報道への情熱をみて、その偏見が過ちであったと強く思うようになりました。(中略)どうか、お二人とも、頑張って下さい。
by tsuruaki_yukawa
| 2004-10-19 17:48
| 読者と記者の会話