2004年 10月 23日
「紙はなくなるのか、なくならないのか」の議論 |
本がこんなタイトルになってしまったお陰で「そんなこと言っても紙はちょっとやそっとでなくならないぞ」という議論を仕掛けられることが多い。わたし自身、「紙がなくなる」という主張は一度もしたことがないのに・・・。あまりに多くの方から同じ主張をいただくので、この問題をこの場で議論しておきたい。
紙はなくなるのか、なくならないのか。もう何十人、何百人と同じ話をしたように思う。「なくなる」派と「なくならない」派の両方と話したが、よくよく聞いてみると、議論の際の前提や定義が異なることが分かる。
そして前提と定義を同じものにすると、みな同じ意見になる。つまり、遠い将来にディスプレーが発達して紙の需要が低下することはあるかもしれないが、予測可能な近未来において紙が情報媒体の主役でありつづけることは間違いない、という意見だ。この意見に反対する人にわたしは今までお会いしたことがない。
要はディスプレー技術が今どのような段階にあるのか、急速な技術革新が見込めそうなのか、などの事実を把握せずに、この議論はできないということだ。こうした事実の把握こそが、この問いに対する答えであり、それなしには、「遠い未来は分からないが、しばらくはなくならない」以外の答えが出るはずがない。
ちなみにこの問題に関する最新の動向に関しては、毎日インタラクティブの最近の記事を紹介しておきたい。
また実際に紙の出荷量が減っているどころか増えているという統計資料を見せられることもある。そうした資料はこれまでに何度もみたことがある。
パソコンが出た当初からペーパーレスの社会になるといわれたけれど、実際にはそうはなっていないということを裏付けるものだ。
なぜペーパーレスが進展してこなかったのか。これまではネットワークを通じての文書交換がそれほど便利ではなかったり、「やっぱり長い文章は印刷物でないと目が疲れる」という人がまだまだいたからだと思う。
しかしインターネットが普及してからは状況が異なり始めた。インターネットを生活の一部として当然存在するものとみなす若い世代は、長い文章でもパソコンや携帯電話の画面で読んでしまう。それに紙を介した情報伝達量の何十倍、何百倍もの情報がペーパーレスで行われている。それだけ情報のやりとりが幾何学的に増えたのだ。絶対量をみれば紙の需要は減っていないが、相対的にみればペーパーレスが確実に進んでいるといえる。
絶対量で紙の需要が減少していないとする主張も正しいし、相対的にペーパーレスが進んだとする主張も正しい。要は、自分はどちらの議論をすべき立場にいるのか、ということだ。製紙産業に携わる人は、絶対量の議論をすべきだ。しかし情報を取り扱う業界の関係者が、絶対量の議論に安心している場合ではないだろう。
ちなみに、20年後には絶対量でも紙の需要が減少するという米国の業界団体の試算もある。
紙はなくなるのか、なくならないのか。もう何十人、何百人と同じ話をしたように思う。「なくなる」派と「なくならない」派の両方と話したが、よくよく聞いてみると、議論の際の前提や定義が異なることが分かる。
そして前提と定義を同じものにすると、みな同じ意見になる。つまり、遠い将来にディスプレーが発達して紙の需要が低下することはあるかもしれないが、予測可能な近未来において紙が情報媒体の主役でありつづけることは間違いない、という意見だ。この意見に反対する人にわたしは今までお会いしたことがない。
要はディスプレー技術が今どのような段階にあるのか、急速な技術革新が見込めそうなのか、などの事実を把握せずに、この議論はできないということだ。こうした事実の把握こそが、この問いに対する答えであり、それなしには、「遠い未来は分からないが、しばらくはなくならない」以外の答えが出るはずがない。
ちなみにこの問題に関する最新の動向に関しては、毎日インタラクティブの最近の記事を紹介しておきたい。
「今はまだ夢の話ですが、技術の進歩で電子ペーパーが紙のように薄く、しかも低コストで量産できれば、読まなくなった本や雑誌、古新聞の山から解放されて、真のペーパーレス社会も夢ではありません」(中略)今後の技術開発や製品化について檀上課長は「電子書籍端末のカラー化は2年後、折り曲げ可能な電子ペーパーの商品化は5年後」と予測する。また紙の情報を電子化するだけでなく、電子ペーパーの特性を生かした、キラーコンテンツの開拓も急務となっている。檀上課長は「電子ペーパーを普及・発展させていくには技術の向上だけでなく、ソフトの充実も大切な要素である」と話している。
また実際に紙の出荷量が減っているどころか増えているという統計資料を見せられることもある。そうした資料はこれまでに何度もみたことがある。
パソコンが出た当初からペーパーレスの社会になるといわれたけれど、実際にはそうはなっていないということを裏付けるものだ。
なぜペーパーレスが進展してこなかったのか。これまではネットワークを通じての文書交換がそれほど便利ではなかったり、「やっぱり長い文章は印刷物でないと目が疲れる」という人がまだまだいたからだと思う。
しかしインターネットが普及してからは状況が異なり始めた。インターネットを生活の一部として当然存在するものとみなす若い世代は、長い文章でもパソコンや携帯電話の画面で読んでしまう。それに紙を介した情報伝達量の何十倍、何百倍もの情報がペーパーレスで行われている。それだけ情報のやりとりが幾何学的に増えたのだ。絶対量をみれば紙の需要は減っていないが、相対的にみればペーパーレスが確実に進んでいるといえる。
絶対量で紙の需要が減少していないとする主張も正しいし、相対的にペーパーレスが進んだとする主張も正しい。要は、自分はどちらの議論をすべき立場にいるのか、ということだ。製紙産業に携わる人は、絶対量の議論をすべきだ。しかし情報を取り扱う業界の関係者が、絶対量の議論に安心している場合ではないだろう。
ちなみに、20年後には絶対量でも紙の需要が減少するという米国の業界団体の試算もある。
by tsuruaki_yukawa
| 2004-10-23 23:56
| 紙はなくなるのか