2004年 10月 27日
ニュースを無料で見せるのは「愚策」か |
インターネット上でニュースを無料で見せたのは失敗だった、という新聞関係者の意見をよく耳にする。一度無料で見せたので無料が当たり前になってしまい、ニュースに課金することは不可能になってしまった。だからニュースサイト事業は儲からないのだ、という意見だ。新聞関係者の集いでは「最初にニュースを無料で見せたのはどこの社だ」といった責任を追及する意見まで出ることがあるという。
もし新聞がこれまで通り「情報の門番」であり続けることができるのなら、確かに戦略的失敗かもしれない。
しかしインターネットの登場で、だれもが情報を発信し、だれもが多くの情報にアクセスできるようになった。情報を出したいというニーズと、情報を受けたいというニーズが存在する限り、「門番」が「門」を閉めれば、情報の出し手と受け手を結ぼうとする力は大きなうねりになって、別の場所に「門」をこじ開けないだろうか。
以前も取り上げたように、韓国でインターネットニュースの「オーマイニュース」が成功したのは、既存メディアが保守に傾き、行き場のない革新派が市民記者になってオーマイニュースを支えたからだといわれる。
そんなことは日本ではありえない、と言う人がいる。「お上」に頼る受け身の国民性だ、と言う。日本人は議論が苦手、議論をしたがらない、と言う。
本当はどうなのだろうか。日本人は、インターネット、ブログというコミュニケーションツールを使って社会をよりよいものにする能力を持っていないのだろうか。無料のニュースサイトを愚策と考える人は、日本人にその能力がないと考えているのかもしれない。
もし新聞がこれまで通り「情報の門番」であり続けることができるのなら、確かに戦略的失敗かもしれない。
しかしインターネットの登場で、だれもが情報を発信し、だれもが多くの情報にアクセスできるようになった。情報を出したいというニーズと、情報を受けたいというニーズが存在する限り、「門番」が「門」を閉めれば、情報の出し手と受け手を結ぼうとする力は大きなうねりになって、別の場所に「門」をこじ開けないだろうか。
以前も取り上げたように、韓国でインターネットニュースの「オーマイニュース」が成功したのは、既存メディアが保守に傾き、行き場のない革新派が市民記者になってオーマイニュースを支えたからだといわれる。
そんなことは日本ではありえない、と言う人がいる。「お上」に頼る受け身の国民性だ、と言う。日本人は議論が苦手、議論をしたがらない、と言う。
本当はどうなのだろうか。日本人は、インターネット、ブログというコミュニケーションツールを使って社会をよりよいものにする能力を持っていないのだろうか。無料のニュースサイトを愚策と考える人は、日本人にその能力がないと考えているのかもしれない。
by tsuruaki_yukawa
| 2004-10-27 17:45
| 報道機関への提言