2005年 01月 29日
ネットは世間を狭くするのか |
情報社会学の研究者たちからよく聞く話だけれど、インターネットは実は世間を狭くする効果があるのだという。ネットユーザーは自分と同じような意見の人とだけネット上で情報交換し、異なる意見に耳を傾けない傾向があるからだそうだ。こうした同じ意見の人の集まる小宇宙が幾つも存在し、インターネットが分断されているのだという。だからインターネットは民主主義を推進するどころか、民主主義の妨げになるのだという。どこかの何とかという人が提唱した説だそうだ(それじゃぜんぜん分かりませんってか。すみません。調べようかと思ったんですけど、なんだかかったるくて・・・。ごめん)。
へーそんなものかな、と思っていた。でも実際にブログを1年以上続けてみて思うのは、結構意見の違う人からコメントをいっぱいいただくもんだなということ。わたし自身このブログ上でバッシングに遭ったこともある。現実社会よりもネット上の方が徹底した議論になるんじゃないだろうか。それっていいことだと思うんだけど・・・。
そんなことを漠然と考えていたらMasood Mortazaviという人のブログで次のような文に出会った。
思いっきり適当に要約すれば、「ネット上のオピニオンリーダーである米スタンフォード大のレッシグ教授によると、ブログの機能的特性は人々に不完全ながらもコミュニケーションの場を形成させる力がある。そしてコミュニケーションが不完全だからこそ実際に会ってよりよくコミュニケートしようという気持ちになるという」。
ネットが幾つもの島に分断されるかどうかは、ツール次第なのでは。レッシグ教授の言うようにブログはコミュニケーションの機会を増大させる可能性のあるツールだし、今後登場するであろう技術やツールは、必ずしもネット上の分断を促進するとは限らないのではなかろうか。
ハマノ君か鈴木謙介さんか、muse-A-museさんか、だれか、どうか教えてくださいまし。
へーそんなものかな、と思っていた。でも実際にブログを1年以上続けてみて思うのは、結構意見の違う人からコメントをいっぱいいただくもんだなということ。わたし自身このブログ上でバッシングに遭ったこともある。現実社会よりもネット上の方が徹底した議論になるんじゃないだろうか。それっていいことだと思うんだけど・・・。
そんなことを漠然と考えていたらMasood Mortazaviという人のブログで次のような文に出会った。
Lessig believes that the architecture of blogs solves one part of this problem by engendring a public form of asynchronous communication, which can "increase the opportunity for communication".
思いっきり適当に要約すれば、「ネット上のオピニオンリーダーである米スタンフォード大のレッシグ教授によると、ブログの機能的特性は人々に不完全ながらもコミュニケーションの場を形成させる力がある。そしてコミュニケーションが不完全だからこそ実際に会ってよりよくコミュニケートしようという気持ちになるという」。
ネットが幾つもの島に分断されるかどうかは、ツール次第なのでは。レッシグ教授の言うようにブログはコミュニケーションの機会を増大させる可能性のあるツールだし、今後登場するであろう技術やツールは、必ずしもネット上の分断を促進するとは限らないのではなかろうか。
ハマノ君か鈴木謙介さんか、muse-A-museさんか、だれか、どうか教えてくださいまし。
by tsuruaki_yukawa
| 2005-01-29 23:58