2005年 02月 18日
「EPIC 2014」 |
ちょっと古い話題なのだが、やっぱり記録として残しておこうと思う。昨年11月に教えてくれた buchiさん、取り上げるのが遅くなって申し訳ありませんでした。メディアの未来を予測する「EPIC 2014」という英語のフラッシュアニメ。日本語訳はいろんな人がしているが、dSb :: digi-squad*blogさんのを引用させてもらいます。dSb :: digi-squad*blogさん、翻訳ごくろうさまでした。ありがとうございました。2005年までの部分は省略しました。省略した部分はdSb :: digi-squad*blogさんのところでどうぞ。
こうした世界がいつ実現するのかは分からないが、確かに最近の情報技術の動向を見る限り、この方向を目指して技術開発が進められているところがあるように思う。
「2010年のニュース戦争は、実際のニュース機関が参加しなかったという点が特筆すべきだ」「紙は、エリート層と高齢者向けに紙媒体のみを提供するようになる。しかし、ほかにも進むべき道は、おそらくあっただろう」といった表現が胸につきささる。「新聞は絶対になくならない。だから慌てる必要はない」というのが、いまだに新聞業界の支配的な見解だと思う。「EPIC 2014」のシナリオでも新聞はなくなっていない。しかし果たしてこうした結末でも構わないというのだろうか。
2006年 ーグーグルはサービスのすべてを統合する。同社は、TiVo、ブロガー、Gメール、グーグルニュース、そして検索関連のすべてを統合し、あらゆる種類のメディアを保存・共有するための無限大のストレージ容量と帯域幅を提供する万能プラットフォーム「グーグル・グリッド」を発表。常時つながっており、どこからでもアクセスできる。各自でプライバシー保護レベルを設定し、コンテンツを安全に保存したり、外部に公開することができる。誰にとっても、メディアを作り出すと同時に消費することがこれほど簡単にできたことはなかった。
2007年 ーマイクロソフトは、グーグルの増大する挑戦に対して、ソーシャル・ニュース・ネットワークおよび参加型ジャーナリズムのためのプラットフォーム「ニュースボットスター」を発表。ニュースボットスターは、ユーザーの友人や同僚が何を読んでいるか、見ているかを基準にニュースの順位づけや選別を行い、仲間が見ているものに対して誰もが自由にコメントできる。
この年、ソニーの電子ペーパーは、本物の紙よりも安くなり、ニュースボットスターを閲覧するツールとしての第一候補となる。
2008年は、マイクロソフトの野望に挑戦する提携が生まれる。グーグルとアマゾンが合併し、グーグルゾンが設立。グーグルは、グーグル・グリッドと最高の検索技術を、アマゾンはソーシャル・レコメンデーション・エンジンと巨大な商業インフラを提供し、1人ひとりの人間関係、属性、消費行動、また趣味に関する詳細なナレッジを把握することで、コンテンツ、そして広告の包括的なカスタマイズを実現する。
2010年のニュース戦争は、実際のニュース機関が参加しなかったという点が特筆すべきだ。
グーグルゼンはついに、ソフトウェア巨人のマイクロソフトも対抗できない手を打ってきた。新アルゴリズムを使い、グーグルゾンのコンピュータは、あらゆる情報ソースから事実や文章を抜き出して、それらをふたたび組み合わせることで、新しい記事を動的に作り出す。コンピュータが、各人に向けて記事を書くのだ。
2011年、眠れる第四の権力は、最初で最後の抵抗をするために目をさます。ニューヨーク・タイムズ・カンパニーは、グーグルゾンの事実抽出ロボットが著作権法に違反するとして、同社を提訴する。この裁判は最高裁まで進み、2011年8月4日、グーグルゾンは勝訴する。
2014年3月9日、グーグルゾンは「EPIC」を公開。
我々の世界へようこそ。
この”進化型パーソナライズ情報構築網(EPIC)”は、雑多で混沌としたメディア空間を選別し、秩序立て、そして情報配信するためのシステムである。ブログの書き込みから携帯カメラの画像、映像レポート、そして完全取材にいたるまで、誰もが貢献するようになり、その多くが対価を得るようになる。記事の人気度により、グーグルゾンの巨額の広告収入のごく一部を得るのだ。
EPICは、消費行動、趣味、属性情報、人間関係などをベースに、各ユーザー向けにカスタマイズされたコンテンツを作成する。
新世代のフリーランス編集者が次々と生まれ、人々はEPICのコンテンツを選別し優先順位をつけるという能力を売るようになる。
私たちのすべては多くの編集者を購読するようになる:EPICでは、彼らが選んだ記事を好きなように組み合わせることができる。最高の状態では、EPICは、見識のある読者に向けて編集された、より深く、より幅広く、より詳細にこだわった世界の要約といえる。
しかし、最悪の場合、多くの人にとって、EPICはささいな情報の単なる寄せ集めになる。
その多くが真実ではなく、狭く浅く、そして扇情的な内容となる。
しかし、EPICは、私たちが求めたものであり、選んだものである。そして、その商業的な成功は、報道倫理のためのメディアと民主主義をめぐる議論が起こる前に実現した。
2014年の現在、ニューヨーク・タイムズ紙は、グーグルゾンの支配に対する精一杯の抵抗として、オフラインとなった。
タイムズ紙は、エリート層と高齢者向けに紙媒体のみを提供するようになる。
しかし、ほかにも進むべき道は、おそらくあっただろう。
こうした世界がいつ実現するのかは分からないが、確かに最近の情報技術の動向を見る限り、この方向を目指して技術開発が進められているところがあるように思う。
「2010年のニュース戦争は、実際のニュース機関が参加しなかったという点が特筆すべきだ」「紙は、エリート層と高齢者向けに紙媒体のみを提供するようになる。しかし、ほかにも進むべき道は、おそらくあっただろう」といった表現が胸につきささる。「新聞は絶対になくならない。だから慌てる必要はない」というのが、いまだに新聞業界の支配的な見解だと思う。「EPIC 2014」のシナリオでも新聞はなくなっていない。しかし果たしてこうした結末でも構わないというのだろうか。
by tsuruaki_yukawa
| 2005-02-18 20:23