2005年 03月 28日
広報活動としての記者ブログ |
北海道新聞の高田昌幸記者のブログを通じて毎日新聞の礒野彰彦記者のブログの存在を知った。読者とかけ離れた存在になってしまった新聞をもう一度読者の側に立たせるためには読者との対話は不可欠だと思うので、記者ブログが増えることを非常にうれしく思う。磯野さん、よろしくお願いします。
記者ブログの増加に伴い、報道機関は記者ブログを認めるべきかどうか、という質問をよく受けるようになった。記者にも個人としての表現の自由は認められるべきだ、という主張もある。記者職は9時ー5時の仕事ではなく、記者のすべての言論活動の著作権は所属する報道機関にある、という主張を聞いたこともある。
以前に「ジャーナリズム考現学」さんのところでもいろいろ議論されていたが、わたし自身はこの問題を広報活動の観点から判断すればいいのではないか、と思っている。
優秀な記者に実名で自由に言論活動させること以上の広報活動はないのではなかろうか。
米国の大学をみていると、卒業生の活躍を上回る広報活動はない、と考えているように思う。卒業生には、大学名の入った一生有効なメールアドレスを与えるなど、卒業生と大学との絆を強調するあの手この手の取り組みを実行している。
確かに優秀な人のブログを読んでいると、その人の出身校や所属企業のイメージがよくなる気がして不思議だ。わたしが愛読するブログの1つに渡辺聡さんの「情報化社会の航海図」がある。申し訳ないのだが渡辺聡さんの勤めておられるニューズウォッチのことをよく存じ上げない。だが、これだけ優秀な人を雇用している会社だから、すばらしい会社に違いない、という気になっている。
新聞社でも編集委員クラスがテレビ出演するのを奨励しているようなところがある。確かにその新聞社のイメージアップにつながっているし、広報活動としては奏功していると思う。
記者ブログも同様に広報活動の一環としてみればいいのではなかろうか。北海道新聞は高田さんのブログのおかげで、少なくともネット上のイメージは非常によくなっていると思う。
そして従来の媒体に比べブログのいいところは、そのブログが広報活動にプラスになっているのかどうか、コメントやトラックバックを読めば一目瞭然というところだ。建設的な議論としての反論は問題ないが、その記者ブロガーの人格や知性、品位を問うようなコメントが多ければ、報道機関の広報活動にとってはマイナスとみていいだろう。
広報活動にとってマイナスとみなされる記者ブログに関しては、一端実名でのブログの閉鎖を命じてもいいのではなかろうか。その後、匿名でブログを再開するかどうかは本人に任せればいい。少なくとも、所属する社が分かるような形でのブログ再開は認めるべきではないだろう。
これは記者ブログに限ったことではない。一般企業の社員のブログも同様の判断基準を適用できるのではなかろうか。
最後にもう一度強調しておきたい。優秀な社員のブログほど、その社のイメージを向上させる広報活動はない、と思う。広報の観点からは、社員ブログは大成功か大失敗かのどちらか。中間点は存在しない(広報以外の観点からなら、中間点もあるかもしれないが)。そして大成功か、大失敗かは、ブログ開始から3カ月でだいたい判断できる。3カ月で、社として公認、黙認すべきかどうかを判断すればいいと思う。
記者ブログの増加に伴い、報道機関は記者ブログを認めるべきかどうか、という質問をよく受けるようになった。記者にも個人としての表現の自由は認められるべきだ、という主張もある。記者職は9時ー5時の仕事ではなく、記者のすべての言論活動の著作権は所属する報道機関にある、という主張を聞いたこともある。
以前に「ジャーナリズム考現学」さんのところでもいろいろ議論されていたが、わたし自身はこの問題を広報活動の観点から判断すればいいのではないか、と思っている。
優秀な記者に実名で自由に言論活動させること以上の広報活動はないのではなかろうか。
米国の大学をみていると、卒業生の活躍を上回る広報活動はない、と考えているように思う。卒業生には、大学名の入った一生有効なメールアドレスを与えるなど、卒業生と大学との絆を強調するあの手この手の取り組みを実行している。
確かに優秀な人のブログを読んでいると、その人の出身校や所属企業のイメージがよくなる気がして不思議だ。わたしが愛読するブログの1つに渡辺聡さんの「情報化社会の航海図」がある。申し訳ないのだが渡辺聡さんの勤めておられるニューズウォッチのことをよく存じ上げない。だが、これだけ優秀な人を雇用している会社だから、すばらしい会社に違いない、という気になっている。
新聞社でも編集委員クラスがテレビ出演するのを奨励しているようなところがある。確かにその新聞社のイメージアップにつながっているし、広報活動としては奏功していると思う。
記者ブログも同様に広報活動の一環としてみればいいのではなかろうか。北海道新聞は高田さんのブログのおかげで、少なくともネット上のイメージは非常によくなっていると思う。
そして従来の媒体に比べブログのいいところは、そのブログが広報活動にプラスになっているのかどうか、コメントやトラックバックを読めば一目瞭然というところだ。建設的な議論としての反論は問題ないが、その記者ブロガーの人格や知性、品位を問うようなコメントが多ければ、報道機関の広報活動にとってはマイナスとみていいだろう。
広報活動にとってマイナスとみなされる記者ブログに関しては、一端実名でのブログの閉鎖を命じてもいいのではなかろうか。その後、匿名でブログを再開するかどうかは本人に任せればいい。少なくとも、所属する社が分かるような形でのブログ再開は認めるべきではないだろう。
これは記者ブログに限ったことではない。一般企業の社員のブログも同様の判断基準を適用できるのではなかろうか。
最後にもう一度強調しておきたい。優秀な社員のブログほど、その社のイメージを向上させる広報活動はない、と思う。広報の観点からは、社員ブログは大成功か大失敗かのどちらか。中間点は存在しない(広報以外の観点からなら、中間点もあるかもしれないが)。そして大成功か、大失敗かは、ブログ開始から3カ月でだいたい判断できる。3カ月で、社として公認、黙認すべきかどうかを判断すればいいと思う。
by tsuruaki_yukawa
| 2005-03-28 03:54