2005年 04月 04日
参加型に対する疑問:信頼できる情報の発信という既存メディアの役割は今後も必要か |
参加型ジャーナリズムの時代になれば、信頼できる情報をどこで入手すればいいのか。信頼できる情報ソースとして既存メディアは今後も必要なはずだー。
主に既存メディアの関係者から上のような疑問、意見を寄せられることが多い。
これらの疑問、意見に対して、「既存メディアも信頼できるソースとは言えなくなってきているではないか」という指摘がある。一方で、「信頼できない報道もあるが、総合点で言えば既存メディアの報道のほうがネットよりも信頼できるし、それは今後も変わらないだろう」という意見もある。
わたし自身は、次のように考える。ポイントは3つある。
1点目。今のところ既存メディアとネット上の情報を対比させてみると、平均点でいえば既存メディアの情報の方が質、信頼度ともに上だと思う。しかしネット上には、その既存メディアの平均点を大きく上回るような情報が点在する。今後、ブログなどを通じた情報発信が盛んになればなるほど、優れた情報の数も増えてくると思う。ただ情報の洪水の中でこうした優れた情報を簡単に見つけ出せなければ、優れた情報は存在しないのも同然。しかし、技術革新や画期的な仕組みの登場で、いずれ優れた情報に簡単にアクセスできるようになるとは考えている。
2点目。玉石混交の情報の中でこそメディアリテラシーが育つ、ということ。これまでも「メディアの主張を鵜呑みにしてはだめですよ」と主張する人が多くいた。何が正しい情報か自分で見極める目を持たなければならない、という主張だった。ところがネット上では、こうした主張はほとんど聞かれない。ネット上の情報は玉石混交であり、ネットユーザーは何が正しいかという判断を日々当然のように自分自身で下しているからだ。ネットを利用することが多い人ほど、メディアリテラシーが高いといっていいのではなかろうか。そして正しい情報を見極める目が今は、既存メディアに向けられ始めた。これは健全なことだと思う。既存メディア関係者が心配しなくても、ネットユーザーは自分の目で情報を見極めることができるようになっているのだと思う。
3点目。ただ、どれだけ個人の情報発信が盛んになっても、表に出てこない情報というのが存在し続ける、ということ。こうした表に出てこない情報に対するニーズは残るだろうし、こうした情報を発掘する仕事に対する対価も支払われるはず。プロのジャーナリストを始め情報を取り扱う仕事というものが、近未来においても存在し続けると思う。
つまり、ある種の情報は、一般市民などが発信する情報だけで十分事足りるようになると思う。一方で、情報収集を職業にする人でなければ集められない情報というものも残る。その情報の価値が高ければ、その情報を収集した職業人に対する金銭的報酬は必ず生じるだろうから、情報産業、報道産業は今後も存在しうると思う。ただ今のメディア企業が今後もその役回りになるという保証はない。
どういった情報にニーズがあるのか。どういう仕事がプロでなければできないのか。ネット上の情報空間に慣れ親しむとともに、読者との対話を始めないかぎり、今後のジャーナリズムの姿を予測することも、それに対応することも不可能だと思う。
主に既存メディアの関係者から上のような疑問、意見を寄せられることが多い。
これらの疑問、意見に対して、「既存メディアも信頼できるソースとは言えなくなってきているではないか」という指摘がある。一方で、「信頼できない報道もあるが、総合点で言えば既存メディアの報道のほうがネットよりも信頼できるし、それは今後も変わらないだろう」という意見もある。
わたし自身は、次のように考える。ポイントは3つある。
1点目。今のところ既存メディアとネット上の情報を対比させてみると、平均点でいえば既存メディアの情報の方が質、信頼度ともに上だと思う。しかしネット上には、その既存メディアの平均点を大きく上回るような情報が点在する。今後、ブログなどを通じた情報発信が盛んになればなるほど、優れた情報の数も増えてくると思う。ただ情報の洪水の中でこうした優れた情報を簡単に見つけ出せなければ、優れた情報は存在しないのも同然。しかし、技術革新や画期的な仕組みの登場で、いずれ優れた情報に簡単にアクセスできるようになるとは考えている。
2点目。玉石混交の情報の中でこそメディアリテラシーが育つ、ということ。これまでも「メディアの主張を鵜呑みにしてはだめですよ」と主張する人が多くいた。何が正しい情報か自分で見極める目を持たなければならない、という主張だった。ところがネット上では、こうした主張はほとんど聞かれない。ネット上の情報は玉石混交であり、ネットユーザーは何が正しいかという判断を日々当然のように自分自身で下しているからだ。ネットを利用することが多い人ほど、メディアリテラシーが高いといっていいのではなかろうか。そして正しい情報を見極める目が今は、既存メディアに向けられ始めた。これは健全なことだと思う。既存メディア関係者が心配しなくても、ネットユーザーは自分の目で情報を見極めることができるようになっているのだと思う。
3点目。ただ、どれだけ個人の情報発信が盛んになっても、表に出てこない情報というのが存在し続ける、ということ。こうした表に出てこない情報に対するニーズは残るだろうし、こうした情報を発掘する仕事に対する対価も支払われるはず。プロのジャーナリストを始め情報を取り扱う仕事というものが、近未来においても存在し続けると思う。
つまり、ある種の情報は、一般市民などが発信する情報だけで十分事足りるようになると思う。一方で、情報収集を職業にする人でなければ集められない情報というものも残る。その情報の価値が高ければ、その情報を収集した職業人に対する金銭的報酬は必ず生じるだろうから、情報産業、報道産業は今後も存在しうると思う。ただ今のメディア企業が今後もその役回りになるという保証はない。
どういった情報にニーズがあるのか。どういう仕事がプロでなければできないのか。ネット上の情報空間に慣れ親しむとともに、読者との対話を始めないかぎり、今後のジャーナリズムの姿を予測することも、それに対応することも不可能だと思う。
by tsuruaki_yukawa
| 2005-04-04 07:42