2005年 04月 24日
ライブドアPJ、今度は江川紹子さんとバトル |
「ブログ時評」の団藤保晴さんとバトルをしていたかと思えば、今度はジャーナリストの江川紹子さんともバトルを繰り広げていたみたい。どうやらライブドアPJの新米記者が、江川さんがオウム寄りの発言をしたと報じ、デスクも江川さんのこれまでの仕事の内容を知らず原稿をそのまま流したようだ。江川さんのサイトから。
この後、LDの報道部門の責任者であるセンター長のS氏からは丁寧な謝罪文をもらったようだが、担当デスクのX氏の対応がまずかったらしい。
この件でわたしは江川さんと直接話したのだが、江川さんは参加型ジャーナリズムに対して理解があるし、ライブドアPJという試みを応援しているようにも受け取れる。そういったシンパさえも怒らせては、やはりまずいのではないかと思う。
一方で、この件を通じて、考えてみたい点が1つある。もし、ライブドアの記者ではなくブロガーが今回のような「事実誤認」をし抗議を受けて問題箇所を「お詫びとともに削除」すれば、どうだっただろう。江川さんは同様に問題視しただろうか。わたしもブログ上での事実誤認の指摘を受けて、問題エントリーを削除した経験が過去にある。ブログでは「間違っちゃったら、謝って訂正すりゃいいでしょ」ということはよくある話ではないだろうか。
ライブドアPJは、ジャーナリズムと銘打っているので、「間違い」は「誤報」と受け止められる。ブログよりもより高度な基準をクリアしなければならないのかもしれない。
過去にも何度も指摘された問題だが、やはり「参加型ジャーナリズム」という呼び名がよくないのかもしれない。「ネット上の言論空間」と呼ぶほうがいいのかも。
X氏はライブドアPJを「ジャーナリズム」ではなく自分の専門である「公共圏」として受け止めているので、ジャーナリズムを期待する江川さんとは、意見がかみ合わないのかもしれない。
「参加型ジャーナリズム」より別の呼び方のほうがいいのかなあ。ちょっと考えてみたい。
記事を書いた記者は、その日初めて現場に出たらしい。予備知識もなく、何の準備もしないまま、私が他の記者に話していることを横で聞きかじり、自分自身の想像を交えて書いてしまったようだ。
たまたま、私はその誤報記事を自分で発見することになった。
私が、坂本弁護士一家殺害事件の実行犯岡崎一明に関して「許してやるべきだ」と言ったという記事になっていた。冗談ではない。私はそんなことを考えたことなど一度もない。仮に、個々の被告人について哀れみがわいたとしても、私は「許し」を与えられる立場ではない。その資格があるのは、遺族とせいぜい宗教者くらいだろう、と考えている。
それに、万が一この記事が遺族に目に触れれば、どれだけほど困惑させ傷つけるだろうかと、私は血の気が引くような思いがした。
すぐに記者に電話をして、即刻配信をやめること、訂正を出すことを強く要求した。
この後、LDの報道部門の責任者であるセンター長のS氏からは丁寧な謝罪文をもらったようだが、担当デスクのX氏の対応がまずかったらしい。
X氏は、「江川さんがオウムを扱っているのは知っていましたが、細かいことは知らなかった」ので何の疑問も抱かなかったと、悪びれる様子もない。彼はかつて松本サリン事件を「研究」したことはある、とのこと。ならば、私がオウムを追及する側にいたことぐらいは知っていたでしょうにと思ったが、「そういう細かいことは存じませんって言ってるんですよ」と。
そして、「訂正を出し、Sが謝罪をし、私もこれから気をつけるとおっしゃってるのに(←本当にそう言った)、これ以上何をしろって言うんですか」と開き直った。
私が熱くなって反論すると、X氏は小馬鹿にしたようにせせら笑うのだ。 この会話を横で聞いてさすがに「まずい」と思ったらしく、X氏との電話が終わると、すぐにS氏から「会ってお詫びをしたい」と連絡があった。S氏は報道の現場での経験が長く、誤報をした時の対応も経験があるのだろう。S氏との会話は、至極まっとうなやりとりだった。
しかし……。
間違っちゃったら、謝って訂正すりゃいいでしょ――そういう価値観の人間が、デスクという報道の要に位置し、そのうえ「市民記者」の養成まで任されている。そういうメディアが、このまま成長したらどうなるのかという不安までは、どうしてもぬぐきれなかった。
この件でわたしは江川さんと直接話したのだが、江川さんは参加型ジャーナリズムに対して理解があるし、ライブドアPJという試みを応援しているようにも受け取れる。そういったシンパさえも怒らせては、やはりまずいのではないかと思う。
一方で、この件を通じて、考えてみたい点が1つある。もし、ライブドアの記者ではなくブロガーが今回のような「事実誤認」をし抗議を受けて問題箇所を「お詫びとともに削除」すれば、どうだっただろう。江川さんは同様に問題視しただろうか。わたしもブログ上での事実誤認の指摘を受けて、問題エントリーを削除した経験が過去にある。ブログでは「間違っちゃったら、謝って訂正すりゃいいでしょ」ということはよくある話ではないだろうか。
ライブドアPJは、ジャーナリズムと銘打っているので、「間違い」は「誤報」と受け止められる。ブログよりもより高度な基準をクリアしなければならないのかもしれない。
過去にも何度も指摘された問題だが、やはり「参加型ジャーナリズム」という呼び名がよくないのかもしれない。「ネット上の言論空間」と呼ぶほうがいいのかも。
X氏はライブドアPJを「ジャーナリズム」ではなく自分の専門である「公共圏」として受け止めているので、ジャーナリズムを期待する江川さんとは、意見がかみ合わないのかもしれない。
「参加型ジャーナリズム」より別の呼び方のほうがいいのかなあ。ちょっと考えてみたい。
by tsuruaki_yukawa
| 2005-04-24 03:27