団藤さんの「ネットジャーナリズム」とわたしの「参加型ジャーナリズム」 |
団藤さんが考えておられるように市民ジャーナリズムの中からプロをも凌駕するような質の高いジャーナリズムが増えてくることはすばらしいことだと思う。米国で一部ブロガーがプロのコラムニスト以上にすばらしい政治論評を続け高い評価を得ているが、団藤さんの考える市民ジャーナリズムはまさにこうしたものを指すのだと思う。
何度も言うが、それはそれですばらしいことだと思う。プロがジャーナリズムを独占するのではなく、広く一般の人が社会を変えるような言論活動に積極的に参加することが民主主義にとってどれだけすばらしいことか。
わたしもそうした観点で米国のブログジャーナリズムの現状を講演などで紹介することがある。ところがときどき「それって今のジャーナリズムとどう違うの」という質問というか、反発を受けることがある。「エリート気取りのプロの組織ジャーナリズムが、エリート気取りのアマチュアの個人ジャーナリズムに変わるだけでしょ」「組織か個人という違いはあっても、結局エスタブリッシュメントの家に生まれ高等教育を受けた人だけが社会をひっぱっていく資格を持つ、という考え方は変わっていないじゃないか」というような主張だと思う。頭をガツーンと殴られたような気がした。
おそらくジャーナリズムというものはこれからどんどん形を変えていくことになるのだろう。50年後には、今生きているわれわれが想像もできないようなものになっているかもしれない。
その変化の過程の中で、ジャーナリズムがプロの独占から抜け出し、やがてエリート層の独占からも抜け出すようになるのではないか。わたしはそんな期待を持っている。ひょっとするとそれは単なる「夢物語」かもしれない。「夢物語だ」と批判されても、わたしは反論できない。