2005年 08月 08日
ジャーナリズムは社会改良運動になる |
山川草一郎さん、松岡美樹さんからトラックバックいただきました。ありがとうございます。
このブログ上で過去何度も問題になっているけど、「そんなのジャーナリズムじゃない」議論ですね、今回も。でも「ジャーナリズム」の定義って、歴史的に見てころころ変わっているんですよ。わたしの短い記者人生の中でも、ジャーナリズムの一般的な定義が変わってきているようにも思う。
さて山川草一郎さんのご指摘の通り、わたしはジャーナリズムがいずれ社会改良運動になっていくのではないかと思っている。というか、ジャーナリズムはもともと社会改良運動だったはず。社会運動家の言論活動だったジャーナリズムを20世紀にメディア企業が独占した。だが21世紀にはジャーナリズムが再び社会改良運動と1つになっていく、というのがわたしの予測である(はずれるかも知れないけど。はずれたらスンマセン)。
「参加型ジャーナリズムに質を求めていないか」というと、まあそうでもないんだけど、平易な言葉で言えば「文章がへたでもいいじゃん。熱い心で語ろうぜ」ということです。一人ひとりのブログにはそれほど重要な情報が含まれていなくても、多くのブログの情報をだれかがまとめ上げて読み物として完成させればいいじゃないですか。団藤さんはまさにそれを実践しておられると思う。それに、将来は機械的にまとめあげることも可能になるような気もする。
だから下手でも僕は気にしないよ、というのがわたしの態度です。以前コメント爛で「あなたはプロとして(へたなブログの)記事をジャーナリズムとして認めることができるのか」という質問が寄せられましたが、自分の後輩の記事だとすれば、ヘタな文章は徹底的に筆を入れるかボツにする。でもブログの記事は、別の基準(熱い思いとか)で評価してもいいんじゃないでしょうか。
山川さんの文章は、わたしのことをほめすぎでちょっと気恥ずかしいです。でもわたしの思いは、基本的に山川さんのご指摘の通りです。
自分の中にアンチエスタブリッシュメントの思いがあるように感じます。それが原動力になっているのかも。そう考えると自分がつまらない人間のように思えてきた、トホホ。
このブログ上で過去何度も問題になっているけど、「そんなのジャーナリズムじゃない」議論ですね、今回も。でも「ジャーナリズム」の定義って、歴史的に見てころころ変わっているんですよ。わたしの短い記者人生の中でも、ジャーナリズムの一般的な定義が変わってきているようにも思う。
さて山川草一郎さんのご指摘の通り、わたしはジャーナリズムがいずれ社会改良運動になっていくのではないかと思っている。というか、ジャーナリズムはもともと社会改良運動だったはず。社会運動家の言論活動だったジャーナリズムを20世紀にメディア企業が独占した。だが21世紀にはジャーナリズムが再び社会改良運動と1つになっていく、というのがわたしの予測である(はずれるかも知れないけど。はずれたらスンマセン)。
「参加型ジャーナリズムに質を求めていないか」というと、まあそうでもないんだけど、平易な言葉で言えば「文章がへたでもいいじゃん。熱い心で語ろうぜ」ということです。一人ひとりのブログにはそれほど重要な情報が含まれていなくても、多くのブログの情報をだれかがまとめ上げて読み物として完成させればいいじゃないですか。団藤さんはまさにそれを実践しておられると思う。それに、将来は機械的にまとめあげることも可能になるような気もする。
だから下手でも僕は気にしないよ、というのがわたしの態度です。以前コメント爛で「あなたはプロとして(へたなブログの)記事をジャーナリズムとして認めることができるのか」という質問が寄せられましたが、自分の後輩の記事だとすれば、ヘタな文章は徹底的に筆を入れるかボツにする。でもブログの記事は、別の基準(熱い思いとか)で評価してもいいんじゃないでしょうか。
山川さんの文章は、わたしのことをほめすぎでちょっと気恥ずかしいです。でもわたしの思いは、基本的に山川さんのご指摘の通りです。
自分の中にアンチエスタブリッシュメントの思いがあるように感じます。それが原動力になっているのかも。そう考えると自分がつまらない人間のように思えてきた、トホホ。
by tsuruaki_yukawa
| 2005-08-08 08:53