2005年 12月 09日
参加型Jの薄気味悪さ |
◎参加できない参加型
ほかにも参加型ジャーナリズムが抱える課題、問題は幾つもある。
ある学生と議論していたときにその学生から「参加型といってもパソコンやインターネットを使えない人は参加できないじゃないですか」という指摘を受けた。
確かに高齢者や低所得者の層からは多くの参加を期待できないかもしれない。いわゆるデジタルデバイドの問題だ。
「参加できるのは情報強者だけで、中でもアクセスを集めることができるのは頭のいいエリート。エリート気取りのマスコミが、エリート気取りのブロガーに取って代わられるだけのことでしょう」と彼は辛辣な表現で続けた。
確かに米国では政治問題に強い一部ブロガーが、政治問題が専門のコラムニスト以上に人気を得ているようだ。違いは、記者としての職業についているかどうかがだけ。知的な能力の持ち主が言論空間を支配する構図は変わらない、というのがこの学生の主張だ。
デジタルデバイドの問題は確かに現時点で存在する。しかしわたしは、あと何十年かすれば少なくとも日本国内ではデジタルデバイドのかなりの部分は解決されるような気がしている。お年寄りでもブログぐらいはこなせるようになっているのではなかろうか。
またエリート支配の問題も、わたしはこの学生とは違う考えを持っている。もちろん文章のうまい人が脚光浴びることもあると思うが、今後発展してくると予測される参加型ジャーナリズムの中では、文章の巧拙や、教養の有無はそれほど関係なくなるのではないかとわたしは思っている。真摯な思い、突き刺さるような心の叫びが、参加型ジャーナリズムの真骨頂になると確信している。このことはあとで、詳しく議論したいと思う。
間違った情報が広く配布されるという問題を指摘する人もいる。しかし、現状のネットの議論を見ていると、あやふやな情報には「根拠を示せ」「情報ソースを示せ」というコメントが寄せられることが多い。時間さえかければ、誤った情報は淘汰される傾向にあるのではなかろうか。また読者のリテラシーも向上してくると、確かな情報とあやふやな情報の違いを認識できるようになるとも思う。
ただ一度流れるだけでも、害を及ぼす情報もある。少年犯罪の実名がそうだ。こうした情報の流布をどのように未然に防ぐことができるだろうか。未然に防ぐべきものなのだろうか。その辺りの議論がまだ十分に行われていないことこそが問題だと思う。
また恐ろしいほどの情報管理社会になるかもしれない、という問題もある。「EPIC2014」の中のコンピューター「EPIC」はあらゆる個人情報を蓄積するようになる。その個人情報に基づいて、個々人が必要とする情報が何であるかを自動的に認識し、それに合ったニュースを配信する。コンピューターが個人の趣味嗜好、経歴、履歴をすべて把握する社会。コンピューターに何もかも管理される社会。なんだか薄気味悪ささえ感じる社会だ。
著者注:本として出版するための原稿ですが、未完成なものです。間違いの指摘やご意見をいただければ幸いです。「過去エントリをそのまま記録として残すべきだ」「細かな修正を加えるたびにPINGが飛び、RSSリーダーにほぼ同じ原稿が表示されるので困る」などという意見をいただきましたので、ご意見、ご指摘をいただいても、エントリ自体を修正しないことにしています。ですが、建設的なご指摘、ご意見は、最終原稿に必ず反映させるつもりです。繰り返しになりますが、本エントリは未完成原稿です。引用を希望される場合は、脚注にある原典に当たられることをお勧めします。
参考「本を書きます」

このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。
ほかにも参加型ジャーナリズムが抱える課題、問題は幾つもある。
ある学生と議論していたときにその学生から「参加型といってもパソコンやインターネットを使えない人は参加できないじゃないですか」という指摘を受けた。
確かに高齢者や低所得者の層からは多くの参加を期待できないかもしれない。いわゆるデジタルデバイドの問題だ。
「参加できるのは情報強者だけで、中でもアクセスを集めることができるのは頭のいいエリート。エリート気取りのマスコミが、エリート気取りのブロガーに取って代わられるだけのことでしょう」と彼は辛辣な表現で続けた。
確かに米国では政治問題に強い一部ブロガーが、政治問題が専門のコラムニスト以上に人気を得ているようだ。違いは、記者としての職業についているかどうかがだけ。知的な能力の持ち主が言論空間を支配する構図は変わらない、というのがこの学生の主張だ。
デジタルデバイドの問題は確かに現時点で存在する。しかしわたしは、あと何十年かすれば少なくとも日本国内ではデジタルデバイドのかなりの部分は解決されるような気がしている。お年寄りでもブログぐらいはこなせるようになっているのではなかろうか。
またエリート支配の問題も、わたしはこの学生とは違う考えを持っている。もちろん文章のうまい人が脚光浴びることもあると思うが、今後発展してくると予測される参加型ジャーナリズムの中では、文章の巧拙や、教養の有無はそれほど関係なくなるのではないかとわたしは思っている。真摯な思い、突き刺さるような心の叫びが、参加型ジャーナリズムの真骨頂になると確信している。このことはあとで、詳しく議論したいと思う。
間違った情報が広く配布されるという問題を指摘する人もいる。しかし、現状のネットの議論を見ていると、あやふやな情報には「根拠を示せ」「情報ソースを示せ」というコメントが寄せられることが多い。時間さえかければ、誤った情報は淘汰される傾向にあるのではなかろうか。また読者のリテラシーも向上してくると、確かな情報とあやふやな情報の違いを認識できるようになるとも思う。
ただ一度流れるだけでも、害を及ぼす情報もある。少年犯罪の実名がそうだ。こうした情報の流布をどのように未然に防ぐことができるだろうか。未然に防ぐべきものなのだろうか。その辺りの議論がまだ十分に行われていないことこそが問題だと思う。
また恐ろしいほどの情報管理社会になるかもしれない、という問題もある。「EPIC2014」の中のコンピューター「EPIC」はあらゆる個人情報を蓄積するようになる。その個人情報に基づいて、個々人が必要とする情報が何であるかを自動的に認識し、それに合ったニュースを配信する。コンピューターが個人の趣味嗜好、経歴、履歴をすべて把握する社会。コンピューターに何もかも管理される社会。なんだか薄気味悪ささえ感じる社会だ。
著者注:本として出版するための原稿ですが、未完成なものです。間違いの指摘やご意見をいただければ幸いです。「過去エントリをそのまま記録として残すべきだ」「細かな修正を加えるたびにPINGが飛び、RSSリーダーにほぼ同じ原稿が表示されるので困る」などという意見をいただきましたので、ご意見、ご指摘をいただいても、エントリ自体を修正しないことにしています。ですが、建設的なご指摘、ご意見は、最終原稿に必ず反映させるつもりです。繰り返しになりますが、本エントリは未完成原稿です。引用を希望される場合は、脚注にある原典に当たられることをお勧めします。
参考「本を書きます」

このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。
by tsuruaki_yukawa
| 2005-12-09 08:03
| 本の原稿

