2005年 12月 27日
ホリエモンからメディア界への出題 |
2005年はマスメディア業界に激震が走った年だった。ライブドア、楽天といったIT企業がフジサンケイグループ、TBSをそれぞれ買収しようとしたからだ。長い間、1つのビジネスモデルを継続するだけでよかった業界に、急速な変革を求めたのがネット企業だった。
中でもライブドアの堀江貴文社長のマスメディアや報道といったものに対する独特の考え方は、既存メディア関係者の反発を招くことが多かった。「(堀江社長は)メディアの公共性を全く理解していない」ー。多くの既存メディア関係者は、堀江社長の意見を切り捨てた。感情的に反発する人も多くいた。
わたしも既存メディアの一員だから、こうした感情はよく分かる。よく分かるのだが、あえて百歩、いや千歩譲って感情論を排し、堀江社長の言わんとするところを探りたいと思う。できるだけ相手の立場に立って異なる意見を理解しようと試みることこそが、知見を深めるのに最も効率的な手法だと思うからだ。
ジャーナリズムの定義に関する感情論同様に、この問題は感情的な反発を招きやすいので、あえて強調したい。わたしは堀江社長を擁護しようというわけではない。擁護するつもりは微塵もない。わたしはただ単にジャーナリズムの今後を見極めたいだけである。
堀江社長は「ニュースはアクセスランキングで重要性を決めればいい」と発言したといわれる。
わたし自身、「報道機関の存在価値はニュースの重要性を決めること」と考える報道関係者を何人も知ってる。それを堀江社長がアクセスランキングで十分と発言したものだから大変な反発を招く結果になった。「おれたちの仕事がアクセスランキング程度の意味しかないというのか」、一部報道関係者は感情的にこう受け止めた。
理論的には、アクセスランキングだとニュースがエンタテーメント化してしまい、伝えなければならないことが伝わらなくなる、という反論になる。確かにポータルサイトのニュースのアクセスランキングを見ると、人目を引くようなタイトルの記事ばかりが上位にランクインする傾向がある。ニュース性の高い記事が必ずしも上位にくるようにはなっていない。またアクセスランキングを見てニュースの見出しをクリックする人も多いだろうから、アクセスランキングの上位リストに上がることでさらにアクセスが集中するということもあるだろう。確かに単純なアクセスランキングだけで、ニュースの価値を決めることは問題がありそうだ。
しかしニュースの価値を決める仕組みが複数あればどうだろう。実際に米国のニュースサイトでは、アクセスランキングに加えて、読者が選んだ重要ニュースのランキング、サイトの編集者が選んだトップニュースなど、複数のランキングが並列に表示されている。ブログ専用の検索サービスのサイトでは、過去24時間で最も多くのブログに取り上げられたニュースというランキングもある。愛読しているブログを通じてニュースの重要性を知ることもあるだろう。
これまではニュースの価値判断を、報道機関にゆだねることが一般的だった。多くの人がその価値判断に頼るしかなかったので、報道機関の責任は大きかった。しかし今後は、ニュースの価値を判断するための材料が数多く存在する中で、個々人がそれぞれ選んだ判断材料を基に自分なりの価値判断を下すことが一般的になるのだと思う。そうした中で、判断材料の1つとしてアクセスランキングがあってもいいのかもしれない。
またアクセスランキングは価値判断の仕組みとしては単純過ぎるかもしれないが、この仕組みがより高度なものになればどうだろう。例えばグーグルニュースは より高度な価値判断の仕組みだといえるだろう。グーグルニュースは、一定時間に同じような記事が何本出たかなどという100項目以上もある判断基準で、コンピューターがニュースの重要性を自動的に決めている。日々のページを作る上で人間による価値判断は一切加えられていない。それでもニュースサイトとして高い評価を得ている。
もちろんグーグルニュースが完璧だと言うつもりはない。しかし、今後技術革新が続く中で、コンピューターによるより優れた価値判断の仕組みが出てくる可能性は大きい。そうなれば既存メディア企業の価値判断の相対的価値は下がらざるを得ないだろう。
堀江社長はまた「調査報道は価値がなくなる」といった発言も行っている。これは正直、どういうことか分からない。わたし自身、調査報道こそ、いつまでも必要なものだと思っている。
ある勉強会で堀江社長のこの発言が話題になった。この発言を「バカバカしい」と一蹴するのはだれにでもできるのことなので、頭の体操として堀江社長が何を意味したのか推測してみようということになった。
なかなか推測するのはむつかしかったのだが、結局は「マーケット的な価値はないということなのではないか」という結論に落ち着いた。
調査報道にはかなりの経費がかかる。この経費に見合うだけの収入を得ることは困難だ。よってビジネスとしては、「やる価値がない」ということなのかもしれない。
あるいは、社会的には価値のあるニュースでも、ネット上に載れば一瞬にして伝搬するので、価値がすぐなくなる、ということなのかもしれない。
著者注:本として出版するための原稿ですが、未完成なものです。間違いの指摘やご意見をいただければ幸いです。「過去エントリをそのまま記録として残すべきだ」「細かな修正を加えるたびにPINGが飛び、RSSリーダーにほぼ同じ原稿が表示されるので困る」などという意見をいただきましたので、ご意見、ご指摘をいただいても、エントリ自体を修正しないことにしています。ですが、建設的なご指摘、ご意見は、最終原稿に必ず反映させるつもりです。繰り返しになりますが、本エントリは未完成原稿です。引用を希望される場合は、脚注にある原典に当たられることをお勧めします。
参考「本を書きます」

このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。
中でもライブドアの堀江貴文社長のマスメディアや報道といったものに対する独特の考え方は、既存メディア関係者の反発を招くことが多かった。「(堀江社長は)メディアの公共性を全く理解していない」ー。多くの既存メディア関係者は、堀江社長の意見を切り捨てた。感情的に反発する人も多くいた。
わたしも既存メディアの一員だから、こうした感情はよく分かる。よく分かるのだが、あえて百歩、いや千歩譲って感情論を排し、堀江社長の言わんとするところを探りたいと思う。できるだけ相手の立場に立って異なる意見を理解しようと試みることこそが、知見を深めるのに最も効率的な手法だと思うからだ。
ジャーナリズムの定義に関する感情論同様に、この問題は感情的な反発を招きやすいので、あえて強調したい。わたしは堀江社長を擁護しようというわけではない。擁護するつもりは微塵もない。わたしはただ単にジャーナリズムの今後を見極めたいだけである。
堀江社長は「ニュースはアクセスランキングで重要性を決めればいい」と発言したといわれる。
わたし自身、「報道機関の存在価値はニュースの重要性を決めること」と考える報道関係者を何人も知ってる。それを堀江社長がアクセスランキングで十分と発言したものだから大変な反発を招く結果になった。「おれたちの仕事がアクセスランキング程度の意味しかないというのか」、一部報道関係者は感情的にこう受け止めた。
理論的には、アクセスランキングだとニュースがエンタテーメント化してしまい、伝えなければならないことが伝わらなくなる、という反論になる。確かにポータルサイトのニュースのアクセスランキングを見ると、人目を引くようなタイトルの記事ばかりが上位にランクインする傾向がある。ニュース性の高い記事が必ずしも上位にくるようにはなっていない。またアクセスランキングを見てニュースの見出しをクリックする人も多いだろうから、アクセスランキングの上位リストに上がることでさらにアクセスが集中するということもあるだろう。確かに単純なアクセスランキングだけで、ニュースの価値を決めることは問題がありそうだ。
しかしニュースの価値を決める仕組みが複数あればどうだろう。実際に米国のニュースサイトでは、アクセスランキングに加えて、読者が選んだ重要ニュースのランキング、サイトの編集者が選んだトップニュースなど、複数のランキングが並列に表示されている。ブログ専用の検索サービスのサイトでは、過去24時間で最も多くのブログに取り上げられたニュースというランキングもある。愛読しているブログを通じてニュースの重要性を知ることもあるだろう。
これまではニュースの価値判断を、報道機関にゆだねることが一般的だった。多くの人がその価値判断に頼るしかなかったので、報道機関の責任は大きかった。しかし今後は、ニュースの価値を判断するための材料が数多く存在する中で、個々人がそれぞれ選んだ判断材料を基に自分なりの価値判断を下すことが一般的になるのだと思う。そうした中で、判断材料の1つとしてアクセスランキングがあってもいいのかもしれない。
またアクセスランキングは価値判断の仕組みとしては単純過ぎるかもしれないが、この仕組みがより高度なものになればどうだろう。例えばグーグルニュースは より高度な価値判断の仕組みだといえるだろう。グーグルニュースは、一定時間に同じような記事が何本出たかなどという100項目以上もある判断基準で、コンピューターがニュースの重要性を自動的に決めている。日々のページを作る上で人間による価値判断は一切加えられていない。それでもニュースサイトとして高い評価を得ている。
もちろんグーグルニュースが完璧だと言うつもりはない。しかし、今後技術革新が続く中で、コンピューターによるより優れた価値判断の仕組みが出てくる可能性は大きい。そうなれば既存メディア企業の価値判断の相対的価値は下がらざるを得ないだろう。
堀江社長はまた「調査報道は価値がなくなる」といった発言も行っている。これは正直、どういうことか分からない。わたし自身、調査報道こそ、いつまでも必要なものだと思っている。
ある勉強会で堀江社長のこの発言が話題になった。この発言を「バカバカしい」と一蹴するのはだれにでもできるのことなので、頭の体操として堀江社長が何を意味したのか推測してみようということになった。
なかなか推測するのはむつかしかったのだが、結局は「マーケット的な価値はないということなのではないか」という結論に落ち着いた。
調査報道にはかなりの経費がかかる。この経費に見合うだけの収入を得ることは困難だ。よってビジネスとしては、「やる価値がない」ということなのかもしれない。
あるいは、社会的には価値のあるニュースでも、ネット上に載れば一瞬にして伝搬するので、価値がすぐなくなる、ということなのかもしれない。
著者注:本として出版するための原稿ですが、未完成なものです。間違いの指摘やご意見をいただければ幸いです。「過去エントリをそのまま記録として残すべきだ」「細かな修正を加えるたびにPINGが飛び、RSSリーダーにほぼ同じ原稿が表示されるので困る」などという意見をいただきましたので、ご意見、ご指摘をいただいても、エントリ自体を修正しないことにしています。ですが、建設的なご指摘、ご意見は、最終原稿に必ず反映させるつもりです。繰り返しになりますが、本エントリは未完成原稿です。引用を希望される場合は、脚注にある原典に当たられることをお勧めします。
参考「本を書きます」

このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。
by tsuruaki_yukawa
| 2005-12-27 23:17
| 本の原稿

