2005年 12月 29日
日本のブログジャーナリズムの現状 |
▼日本の参加型ジャーナリズムの現状
▼まだまだ少ない政治系ブログ、専門家ブログ
日本にもインターネットを使って一般市民の声が伝搬されて1つの大きなうねりを起こすという事例が過去にも数え切れないくらい存在する。前著「ネットは新聞を殺すのか」で紹介した2ちゃんねるの「奇跡の詩人事件」はその1例に過ぎない。それらを「参加型ジャーナリズム」と呼ぶべきか「消費者のクレーム活動」と呼ぶべきかは微妙なところだ。しかし現時点では参加型ジャーナリズムの定義をできるだけ緩やかにしておくというのがこの本の基本方針。よって2ちゃんねるの「祭り」と呼ばれる議論の盛り上がりの幾つかを「参加型ジャーナリズム」の定義の範疇に入れたいと思う。
つまりダン・ラザー氏を降板に追い込んだような米国のブログを中心としたジャーナリスティックな活動は、日本では何年も前から2ちゃんねるが実践していたといえる。
ただ米国と比べると、日本では政治問題を取り上げるネット上の言論が少ないように思われる。しかしこれはもともとの政治への関心の低さがその背景にあるのだろう。米国は典型的な2大政党制で、選挙の結果次第で政治が大きく変わる国だ。選挙の結果次第で、徴兵制がいつでも再開される可能性がある。「自分が投票しても政治は変わらない」というムードが強かったこれまでの日本とは異なり、米国民は政治に関心を持たざるえない状況にあるのだろう。
こうした政治風土を背景に米国の1部ブログの言論活動はジャーナリズムであるとする認識が一般に広まりつつあるように思われる。政党が有力ブロガーに記者証を発行したり、ホワイトハウスの記者クラブへの入会を認めたりもしている。
しかし日本でもポータルサイトなどは、政治に関する情報の充実を図り始めている。どの政治家が議会でどのように発言したか、どのような活動をおこなってきたか、などの情報が整理され一目瞭然になれば、日本人の政治に対する関心も幾らかは高まるのではなかろうか。また日本でも政党が有力ブロガーと懇談会を開くなど、ブロガーへの働きかけに関心を示し始めている。米国のレベルに達するまでは時間がかかるかもしれないが、同じような方向に進みつつあるように思われる。
一方で、米国と比べて日本で圧倒的に少ないのが、専門家のブログだ。米国ではあらゆる分野の専門家がそれぞれブログを開設しており、ブログが非常に有力な情報源になっている。
20世紀のジャーナリズムでは記者が専門家の意見をかみ砕いて紹介した。素人にも分かりやすい半面、読者の中の専門家には物足りない情報になることもあった。また記者が専門家の発言を租借する課程で、発言内容を誤解するということもありえた。専門家の生の発言に比べると、記者という仲介者を通した情報はインパクトに欠けるという側面もあった。
米国に多数存在する専門家のブログは、こうしたこれまでのジャーナリズムの専門情報に満足していなかった情報収集家にとって宝の宝庫となっている。
日本でもライブドアによるフジサンケイグループ買収騒動の際に脚光を浴びた公認会計士磯崎哲也さんのブログのように質の高いブログは少数ながら存在する。この騒動の際には、新聞の書く解説記事より、磯崎さんのブログのほうがよほど読み応えがあったと個人的には思っている。ただこうした専門家ブログが、米国と比較して日本ではあまりに少ないように思われる。
それはなぜなのだろう。
わたしは人生の半分近くを米国で暮らしたのだが、米国人は日本人に比べ発言欲求が確かに強いと実感している。米国人の発言要求の強さは、議論をする、自分の主張を発表する、ということの大事さを幼いころから教育の場で徹底的に教え込まれてきたからだろう。そういった米国人の国民性がブログという個人の情報発信ツールにぴったりはまったわけだ。
またそれとは別に、米国人の職業人生に対する考え方が、価値の高い専門情報をブログに書く原動力になっている、とわたしは考えている。日本人のようにできれば1つの会社を勤め上げようと考えている米国人に、わたしは出会ったことがない。上昇志向のある人は、次にどのような会社で経験を積み、最終的にはどのような技能を身に付けるべきか、ということを常に考えている。基本的に転職を繰り返すことで、キャリアアップを図るわけだ。
そして普段から自分の専門分野のことをブログに記述しておくことで自分自身を社会に、次の企業に、アピールしようとしているのだと思う。専門性の高いブログは、転職の際に非常に有効な「履歴書」になる。これが専門情報ブログが米国に数多く存在する最大の理由だと思う。
日本でも転職率が高まっているが、日本人の転職は「仕事が面白くなくなってきたから」「給料が下がってきたから」などといった後ろ向きの動機が中心ではないだろうか。できればこのままこの会社にいたいのだが仕方なく転職する、という形だ。米国人のように「今の職場に不満はないが次の技能を身につけるために」「もっと給料を取れる自分になりたいから」という前向きな理由で転職する人はまだまだ少ないように思う。
できる限り今の職場でうまくやっていきたいと考えているので、会社の目を気にしてまで自分の専門分野の情報を発信していこうとは思わない。FPNというブログサイトがビジネスに役立つ情報を流すブログの人気投票を行ったことがある。投票の結果、ビジネス情報の人気ブログを運営するのは個人事業主がほとんどで、会社員の運営するブログは1つ、2つしかなかった。
こうしたことを考えると、米国のような専門家によるブログジャーナリズムは、日本ではまだしばらく期待できそうもない。
▼ネットの一次情報を基に取材する記者
一方で「ネット上に一次情報はほとんどない。ネットはマスコミの流す一次情報を論評、分析、解説しているだけだ」という指摘がある。確かにネット上の言説はほとんどが論評、分析、解説だ。しかし一次情報がないわけではない。
特に発言者の特定がむつかしい2ちゃんねるに比べ、ブログは一人の発言者の過去の発言の履歴を確認でき情報の信頼性の度合いをある程度推測できる。検索技術の進化でネット上の情報通を探し出すことがかなり容易になった。また情報通がブログを開設している場合、コメント欄が開設されていたりメールアドレスなどの連絡先が記載されていて、実際にコンタクトを取ることが可能になった。
こうした状況がそろったことで、マスコミの記者がネット上の一次情報を基に追加取材し報道することがかなり多くなっていると思われる。わたしのような者のところにも、「ブログを見た」といって取材を申し込んできた記者は十人を超えている。同様にマスコミの取材を受けたブロガーを、わたしは何人も知っている。
2005年のマンション耐震強度偽造事件の際には「きっこの日記」というブログがマスコミ記者の情報源になっていたというのは有名な話だ。評論家の立花隆さんも日経BPのサイトに寄せた「ネットの日記が暴く耐震偽装問題の裏を読む」という記事の中で次のように述べている。
ヘアドレッサーを自称する「きっこ」という人物がどのようなルートで情報を入手していたのかは不明だ。この問題に関係する人脈を持っているのかもしれない。「きっこ」さん自身も2ちゃんねるから情報を得ていただけだという説もある。ある程度情報を出し続けることで注目を集め、この問題に関する情報ハブになり、途中からは「きっこ」さんのところに情報が寄せられるになったのかもしれない。
「きっこの日記」に寄せられる玉石混淆の情報の中から、追加取材で「玉」の情報がどれかを見極めて報じるということがマスコミの役割となった。
脚注:磯崎哲也さんのブログ「isologue -by 磯崎哲也事務所」
http://www.tez.com/blog/
立花隆さんも「ネットの日記が暴く耐震偽装問題の裏を読む」
http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/051222_ura/index1.html
著者注:本として出版するための原稿ですが、未完成なものです。間違いの指摘やご意見をいただければ幸いです。「過去エントリをそのまま記録として残すべきだ」「細かな修正を加えるたびにPINGが飛び、RSSリーダーにほぼ同じ原稿が表示されるので困る」などという意見をいただきましたので、ご意見、ご指摘をいただいても、エントリ自体を修正しないことにしています。ですが、建設的なご指摘、ご意見は、最終原稿に必ず反映させるつもりです。繰り返しになりますが、本エントリは未完成原稿です。引用を希望される場合は、脚注にある原典に当たられることをお勧めします。
参考「本を書きます」
このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。
▼まだまだ少ない政治系ブログ、専門家ブログ
日本にもインターネットを使って一般市民の声が伝搬されて1つの大きなうねりを起こすという事例が過去にも数え切れないくらい存在する。前著「ネットは新聞を殺すのか」で紹介した2ちゃんねるの「奇跡の詩人事件」はその1例に過ぎない。それらを「参加型ジャーナリズム」と呼ぶべきか「消費者のクレーム活動」と呼ぶべきかは微妙なところだ。しかし現時点では参加型ジャーナリズムの定義をできるだけ緩やかにしておくというのがこの本の基本方針。よって2ちゃんねるの「祭り」と呼ばれる議論の盛り上がりの幾つかを「参加型ジャーナリズム」の定義の範疇に入れたいと思う。
つまりダン・ラザー氏を降板に追い込んだような米国のブログを中心としたジャーナリスティックな活動は、日本では何年も前から2ちゃんねるが実践していたといえる。
ただ米国と比べると、日本では政治問題を取り上げるネット上の言論が少ないように思われる。しかしこれはもともとの政治への関心の低さがその背景にあるのだろう。米国は典型的な2大政党制で、選挙の結果次第で政治が大きく変わる国だ。選挙の結果次第で、徴兵制がいつでも再開される可能性がある。「自分が投票しても政治は変わらない」というムードが強かったこれまでの日本とは異なり、米国民は政治に関心を持たざるえない状況にあるのだろう。
こうした政治風土を背景に米国の1部ブログの言論活動はジャーナリズムであるとする認識が一般に広まりつつあるように思われる。政党が有力ブロガーに記者証を発行したり、ホワイトハウスの記者クラブへの入会を認めたりもしている。
しかし日本でもポータルサイトなどは、政治に関する情報の充実を図り始めている。どの政治家が議会でどのように発言したか、どのような活動をおこなってきたか、などの情報が整理され一目瞭然になれば、日本人の政治に対する関心も幾らかは高まるのではなかろうか。また日本でも政党が有力ブロガーと懇談会を開くなど、ブロガーへの働きかけに関心を示し始めている。米国のレベルに達するまでは時間がかかるかもしれないが、同じような方向に進みつつあるように思われる。
一方で、米国と比べて日本で圧倒的に少ないのが、専門家のブログだ。米国ではあらゆる分野の専門家がそれぞれブログを開設しており、ブログが非常に有力な情報源になっている。
20世紀のジャーナリズムでは記者が専門家の意見をかみ砕いて紹介した。素人にも分かりやすい半面、読者の中の専門家には物足りない情報になることもあった。また記者が専門家の発言を租借する課程で、発言内容を誤解するということもありえた。専門家の生の発言に比べると、記者という仲介者を通した情報はインパクトに欠けるという側面もあった。
米国に多数存在する専門家のブログは、こうしたこれまでのジャーナリズムの専門情報に満足していなかった情報収集家にとって宝の宝庫となっている。
日本でもライブドアによるフジサンケイグループ買収騒動の際に脚光を浴びた公認会計士磯崎哲也さんのブログのように質の高いブログは少数ながら存在する。この騒動の際には、新聞の書く解説記事より、磯崎さんのブログのほうがよほど読み応えがあったと個人的には思っている。ただこうした専門家ブログが、米国と比較して日本ではあまりに少ないように思われる。
それはなぜなのだろう。
わたしは人生の半分近くを米国で暮らしたのだが、米国人は日本人に比べ発言欲求が確かに強いと実感している。米国人の発言要求の強さは、議論をする、自分の主張を発表する、ということの大事さを幼いころから教育の場で徹底的に教え込まれてきたからだろう。そういった米国人の国民性がブログという個人の情報発信ツールにぴったりはまったわけだ。
またそれとは別に、米国人の職業人生に対する考え方が、価値の高い専門情報をブログに書く原動力になっている、とわたしは考えている。日本人のようにできれば1つの会社を勤め上げようと考えている米国人に、わたしは出会ったことがない。上昇志向のある人は、次にどのような会社で経験を積み、最終的にはどのような技能を身に付けるべきか、ということを常に考えている。基本的に転職を繰り返すことで、キャリアアップを図るわけだ。
そして普段から自分の専門分野のことをブログに記述しておくことで自分自身を社会に、次の企業に、アピールしようとしているのだと思う。専門性の高いブログは、転職の際に非常に有効な「履歴書」になる。これが専門情報ブログが米国に数多く存在する最大の理由だと思う。
日本でも転職率が高まっているが、日本人の転職は「仕事が面白くなくなってきたから」「給料が下がってきたから」などといった後ろ向きの動機が中心ではないだろうか。できればこのままこの会社にいたいのだが仕方なく転職する、という形だ。米国人のように「今の職場に不満はないが次の技能を身につけるために」「もっと給料を取れる自分になりたいから」という前向きな理由で転職する人はまだまだ少ないように思う。
できる限り今の職場でうまくやっていきたいと考えているので、会社の目を気にしてまで自分の専門分野の情報を発信していこうとは思わない。FPNというブログサイトがビジネスに役立つ情報を流すブログの人気投票を行ったことがある。投票の結果、ビジネス情報の人気ブログを運営するのは個人事業主がほとんどで、会社員の運営するブログは1つ、2つしかなかった。
こうしたことを考えると、米国のような専門家によるブログジャーナリズムは、日本ではまだしばらく期待できそうもない。
▼ネットの一次情報を基に取材する記者
一方で「ネット上に一次情報はほとんどない。ネットはマスコミの流す一次情報を論評、分析、解説しているだけだ」という指摘がある。確かにネット上の言説はほとんどが論評、分析、解説だ。しかし一次情報がないわけではない。
特に発言者の特定がむつかしい2ちゃんねるに比べ、ブログは一人の発言者の過去の発言の履歴を確認でき情報の信頼性の度合いをある程度推測できる。検索技術の進化でネット上の情報通を探し出すことがかなり容易になった。また情報通がブログを開設している場合、コメント欄が開設されていたりメールアドレスなどの連絡先が記載されていて、実際にコンタクトを取ることが可能になった。
こうした状況がそろったことで、マスコミの記者がネット上の一次情報を基に追加取材し報道することがかなり多くなっていると思われる。わたしのような者のところにも、「ブログを見た」といって取材を申し込んできた記者は十人を超えている。同様にマスコミの取材を受けたブロガーを、わたしは何人も知っている。
2005年のマンション耐震強度偽造事件の際には「きっこの日記」というブログがマスコミ記者の情報源になっていたというのは有名な話だ。評論家の立花隆さんも日経BPのサイトに寄せた「ネットの日記が暴く耐震偽装問題の裏を読む」という記事の中で次のように述べている。
この事件で、もうひとつ特筆しておくべきことは、この偽装事件をここまで明るみに出すことができたのは、インターネットの力だということである。
これは、マスコミの世界では知れ渡っていることだが、実は、この事件の特ダネはネタのほとんどが、連日のように書き込みがある、ある女性のブログから発している。その情報ページ『きっこの日記』はこの事件のはじめから登場し、終始この事件の展開をリードしてきた。
そのページは信じがたいほどに情報が豊かで、マスコミの多くが、まずそこから情報の端緒を得、それをウラ取りしてから記事にすることの繰り返しだといってもいいくらいだ。
ヘアドレッサーを自称する「きっこ」という人物がどのようなルートで情報を入手していたのかは不明だ。この問題に関係する人脈を持っているのかもしれない。「きっこ」さん自身も2ちゃんねるから情報を得ていただけだという説もある。ある程度情報を出し続けることで注目を集め、この問題に関する情報ハブになり、途中からは「きっこ」さんのところに情報が寄せられるになったのかもしれない。
「きっこの日記」に寄せられる玉石混淆の情報の中から、追加取材で「玉」の情報がどれかを見極めて報じるということがマスコミの役割となった。
脚注:磯崎哲也さんのブログ「isologue -by 磯崎哲也事務所」
http://www.tez.com/blog/
立花隆さんも「ネットの日記が暴く耐震偽装問題の裏を読む」
http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/051222_ura/index1.html
著者注:本として出版するための原稿ですが、未完成なものです。間違いの指摘やご意見をいただければ幸いです。「過去エントリをそのまま記録として残すべきだ」「細かな修正を加えるたびにPINGが飛び、RSSリーダーにほぼ同じ原稿が表示されるので困る」などという意見をいただきましたので、ご意見、ご指摘をいただいても、エントリ自体を修正しないことにしています。ですが、建設的なご指摘、ご意見は、最終原稿に必ず反映させるつもりです。繰り返しになりますが、本エントリは未完成原稿です。引用を希望される場合は、脚注にある原典に当たられることをお勧めします。
参考「本を書きます」
このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。
by tsuruaki_yukawa
| 2005-12-29 07:45
| 本の原稿