2006年 01月 08日
マスコミ批判は期待の裏返し |
▼それでは対話しなければならない。
とは言っても、ブログを始めてから2年余りの間に、コメントを勝手に削除したことは一度もない。またマスコミは読者、視聴者と対話すべきだという考えも変わっていない。2ちゃんねるが、ジャーナリスティックな活動することもあるという思いも同じだ。匿名でわたしを攻撃してくる人たちを卑怯だと思っても、匿名性はネット文化に不可欠であると考えている。
わたし自身、過去に書いた新聞記事のほとんどが無記名だった。無記名のまま、時には企業や個人を攻撃した。攻撃された企業や個人のほとんどは反論してこなかった。それはそうだろう。わたしはペンという武器を持っていた。彼らは素手だ。よほど力のある企業や個人でない限り、彼らは泣き寝入りするしかなかった。
もちろんわたしはできる限り公明公正であろうと努めた。しかしすべての記事において、神のごとく公明公正でありえただろうか。
まただれかを批判できるほど、自分は優れた人物なのだろうか。わたしに誤解され批判されて、悔しい思いで泣き寝入りした人が過去に何人もいたのではなかろうか。
自分のブログのエントリーを誤解され、批判され、非常に悔しい思いをする中で、自分の過去の記者活動を省みている自分がいた。コメント欄を荒らす人たちを批判する資格が自分にあるのだろうかという思いが強くなった。
わたしはマスコミ業界の公的な窓口ではない。マスコミ業界への不満をわたしにぶつけられても困るという思いがないわけではない。しかしマスコミ業界に対する不満を一人のマスコミ関係者にぶつけなければならないほど、マスコミはその門戸を閉ざしているのかもしれない。マスコミとの対話が困難だからこそ、一人の記者ブロガーに苦情を言うしかないのではなかろうか。
そうであるならばマスコミで生きる人間として、マスコミ全体に対する批判から逃げてはいけないと思った。だれかが読者、視聴者との対話を始めない限り、既存マスコミに明日はないと思うからだ。
わたしはマスコミ関係者向けの原稿や講演の中で、視聴者、読者との対話を始めることの重要性をこれまで何度も説いてきた。「本当に読者は対話を求めているのか」。ある新聞社の幹部が聞いてきた。その新聞社のサイトに寄せられるのは、罵詈雑言のメールがほとんどだという。「とても対話できるような状況ではない」と彼は顔をしかめた。
新聞側が長年に渡り対話を事実上拒否してきたのだ。読者側に感情が鬱積しているのは当然のことだろう。感情が一通り出尽くさない限り、本当の対話は始まらないと思う。また批判は期待の裏返しである。期待しているからこそ、期待が裏切られたという怒りの声が届くのだろう。それに批判は価値ある情報を流したという証拠だ。本当につまらない記事には、批判もつかない。
今は罵詈雑言が主流だが、読者は対話を求めているし、いずれ建設的な対話できる日がくる。わたしそう思っていた。その漠然として思いは、2005年2月に確信に変わった。神奈川新聞が日本で初めてニュースサイトをブログ化したときのことだった。記事への直接リンクを禁止する新聞社が多い中で、神奈川新聞はリンクはもちろんのこと、コメントやトラックバックの仕組みまでもサイトに搭載したのだ。このニュースはネット上を駆け巡り、多くの絶賛のコメントが同サイトの編集部のブログに寄せられた。
幾つか紹介しよう。
「今回の偉大なる挑戦に拍手を送ります。是非とも新しいマスコミのスタイルを確立してください。応援してます」
「思い切って舵を切られたなあと思いました。良くも悪くも『新聞社らしさ』を払拭したデザインに、大きな拍手を送ります。ガンバレ!」
「マスメディアには、辛口の立場なのですが、今回のチャレンジは拍手かっさいです。ちょくちょく拝見させていただきますです」
「いい度胸です、感心しました。これからのさらなる発展を期待します」
「双方向型の情報発信基地、大賛成です。 こういう形態が今後のマスコミのスタイルになると思ってましたが、地元神奈川が最初ということで嬉しく思います。 頑張って下さい。応援しています」
「地元の新聞社がこんなに新鮮な双方向情報基地になって、びっくりしています。これからいろいろな形で参加させていただきたいと願っています。スタッフの皆さん、倒れないように頑張ってね」
「こんばんわ。神奈川新聞というと銀行の待ち時間に読むぐらいでしか見ませんでしたし知りませんでしたが、こんな新鋭なところだったんですね。四月に横須賀に帰るついでに泥仕合中の某大手から乗り換えてみます。このウェブログも双方向性を活かした活気あるサイトになるといいですね。期待しています」
「前人が踏み入れたことのない新しい世界に臨むスタッフみなさんの心のたかぶりが伝わり、せつない気持ちにさえなります。一方通行、書きっ放しではない、読者と交流しながら作り上げて行くまったく新しい良心的なメディア。期待しています」
わたしはこれまで新聞というメディアに対して、ネット上でこれほど多くの暖かい激励のコメントが送られたのを見たことがない。寄せられたコメントの確認作業をしていた神奈川新聞の女性マネジャーはパソコンに向かいながら涙を流したという。同じ業界にいるというだけで、わたしまで胸が熱くなる思いだった。
やはり読者は新聞との対話を望んでいるのだ。ネットを使ったこれからのジャーナリズムは、「対話」がベースになる。こうした思いがますます強まった。
神奈川新聞の試みは、全国のマスコミ関係者の注目を集めた。読者、視聴者ともっと対話しなければならないという思いは、マスコミ関係者の間に静かに広がりつつある。
脚注:カナロコ編集部・スタッフブログ「新装開店、ご感想は」(2005年2月1日)
http://www.kanalog.jp/staff/entry_1155.html
著者注:本として出版するための原稿ですが、未完成なものです。間違いの指摘やご意見をいただければ幸いです。「過去エントリをそのまま記録として残すべきだ」「細かな修正を加えるたびにPINGが飛び、RSSリーダーにほぼ同じ原稿が表示されるので困る」などという意見をいただきましたので、ご意見、ご指摘をいただいても、エントリ自体を修正しないことにしています。ですが、建設的なご指摘、ご意見は、最終原稿に必ず反映させるつもりです。繰り返しになりますが、本エントリは未完成原稿です。引用を希望される場合は、脚注にある原典に当たられることをお勧めします。
参考「本を書きます」

このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。
とは言っても、ブログを始めてから2年余りの間に、コメントを勝手に削除したことは一度もない。またマスコミは読者、視聴者と対話すべきだという考えも変わっていない。2ちゃんねるが、ジャーナリスティックな活動することもあるという思いも同じだ。匿名でわたしを攻撃してくる人たちを卑怯だと思っても、匿名性はネット文化に不可欠であると考えている。
わたし自身、過去に書いた新聞記事のほとんどが無記名だった。無記名のまま、時には企業や個人を攻撃した。攻撃された企業や個人のほとんどは反論してこなかった。それはそうだろう。わたしはペンという武器を持っていた。彼らは素手だ。よほど力のある企業や個人でない限り、彼らは泣き寝入りするしかなかった。
もちろんわたしはできる限り公明公正であろうと努めた。しかしすべての記事において、神のごとく公明公正でありえただろうか。
まただれかを批判できるほど、自分は優れた人物なのだろうか。わたしに誤解され批判されて、悔しい思いで泣き寝入りした人が過去に何人もいたのではなかろうか。
自分のブログのエントリーを誤解され、批判され、非常に悔しい思いをする中で、自分の過去の記者活動を省みている自分がいた。コメント欄を荒らす人たちを批判する資格が自分にあるのだろうかという思いが強くなった。
わたしはマスコミ業界の公的な窓口ではない。マスコミ業界への不満をわたしにぶつけられても困るという思いがないわけではない。しかしマスコミ業界に対する不満を一人のマスコミ関係者にぶつけなければならないほど、マスコミはその門戸を閉ざしているのかもしれない。マスコミとの対話が困難だからこそ、一人の記者ブロガーに苦情を言うしかないのではなかろうか。
そうであるならばマスコミで生きる人間として、マスコミ全体に対する批判から逃げてはいけないと思った。だれかが読者、視聴者との対話を始めない限り、既存マスコミに明日はないと思うからだ。
わたしはマスコミ関係者向けの原稿や講演の中で、視聴者、読者との対話を始めることの重要性をこれまで何度も説いてきた。「本当に読者は対話を求めているのか」。ある新聞社の幹部が聞いてきた。その新聞社のサイトに寄せられるのは、罵詈雑言のメールがほとんどだという。「とても対話できるような状況ではない」と彼は顔をしかめた。
新聞側が長年に渡り対話を事実上拒否してきたのだ。読者側に感情が鬱積しているのは当然のことだろう。感情が一通り出尽くさない限り、本当の対話は始まらないと思う。また批判は期待の裏返しである。期待しているからこそ、期待が裏切られたという怒りの声が届くのだろう。それに批判は価値ある情報を流したという証拠だ。本当につまらない記事には、批判もつかない。
今は罵詈雑言が主流だが、読者は対話を求めているし、いずれ建設的な対話できる日がくる。わたしそう思っていた。その漠然として思いは、2005年2月に確信に変わった。神奈川新聞が日本で初めてニュースサイトをブログ化したときのことだった。記事への直接リンクを禁止する新聞社が多い中で、神奈川新聞はリンクはもちろんのこと、コメントやトラックバックの仕組みまでもサイトに搭載したのだ。このニュースはネット上を駆け巡り、多くの絶賛のコメントが同サイトの編集部のブログに寄せられた。
幾つか紹介しよう。
「今回の偉大なる挑戦に拍手を送ります。是非とも新しいマスコミのスタイルを確立してください。応援してます」
「思い切って舵を切られたなあと思いました。良くも悪くも『新聞社らしさ』を払拭したデザインに、大きな拍手を送ります。ガンバレ!」
「マスメディアには、辛口の立場なのですが、今回のチャレンジは拍手かっさいです。ちょくちょく拝見させていただきますです」
「いい度胸です、感心しました。これからのさらなる発展を期待します」
「双方向型の情報発信基地、大賛成です。 こういう形態が今後のマスコミのスタイルになると思ってましたが、地元神奈川が最初ということで嬉しく思います。 頑張って下さい。応援しています」
「地元の新聞社がこんなに新鮮な双方向情報基地になって、びっくりしています。これからいろいろな形で参加させていただきたいと願っています。スタッフの皆さん、倒れないように頑張ってね」
「こんばんわ。神奈川新聞というと銀行の待ち時間に読むぐらいでしか見ませんでしたし知りませんでしたが、こんな新鋭なところだったんですね。四月に横須賀に帰るついでに泥仕合中の某大手から乗り換えてみます。このウェブログも双方向性を活かした活気あるサイトになるといいですね。期待しています」
「前人が踏み入れたことのない新しい世界に臨むスタッフみなさんの心のたかぶりが伝わり、せつない気持ちにさえなります。一方通行、書きっ放しではない、読者と交流しながら作り上げて行くまったく新しい良心的なメディア。期待しています」
わたしはこれまで新聞というメディアに対して、ネット上でこれほど多くの暖かい激励のコメントが送られたのを見たことがない。寄せられたコメントの確認作業をしていた神奈川新聞の女性マネジャーはパソコンに向かいながら涙を流したという。同じ業界にいるというだけで、わたしまで胸が熱くなる思いだった。
やはり読者は新聞との対話を望んでいるのだ。ネットを使ったこれからのジャーナリズムは、「対話」がベースになる。こうした思いがますます強まった。
神奈川新聞の試みは、全国のマスコミ関係者の注目を集めた。読者、視聴者ともっと対話しなければならないという思いは、マスコミ関係者の間に静かに広がりつつある。
脚注:カナロコ編集部・スタッフブログ「新装開店、ご感想は」(2005年2月1日)
http://www.kanalog.jp/staff/entry_1155.html
著者注:本として出版するための原稿ですが、未完成なものです。間違いの指摘やご意見をいただければ幸いです。「過去エントリをそのまま記録として残すべきだ」「細かな修正を加えるたびにPINGが飛び、RSSリーダーにほぼ同じ原稿が表示されるので困る」などという意見をいただきましたので、ご意見、ご指摘をいただいても、エントリ自体を修正しないことにしています。ですが、建設的なご指摘、ご意見は、最終原稿に必ず反映させるつもりです。繰り返しになりますが、本エントリは未完成原稿です。引用を希望される場合は、脚注にある原典に当たられることをお勧めします。
参考「本を書きます」

このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。
by tsuruaki_yukawa
| 2006-01-08 06:06
| 本の原稿

