なぜこのブログを始めたのか |
同じことをすぐに書き直す気には到底なれなかったので、しばらく放置していたが、やはりなぜこのブログを始めたのかは、一応書き残しておく必要があると思う。
一言で言えば、理由は「責任」である。「ネットは新聞を殺すのか」を出したあとで、いろいろな反響があった(書評の総括1,総括2)のだが、その中に「結局、新聞はどうなるのだ。どうすべきなのだ」というものがあった。「これは続編があるんですよね」という言い方で、結論が見えていないことを暗に批判した人もいた。自分自身も不完全燃焼のような感じを抱いていた。
そんなとき、電通の濱田さんから強烈な一言をいただいた。濱田さんは本当に不思議な人で、わたし自身も気づいていないような心の葛藤を、わたしよりも早く見つけ出し言葉にする才能がある。濱田さんと出会ったその日のことだった。「あんな本を書いたのだから、湯川さんには責任がある」と濱田さんは言い放った。ネットと新聞の関係がどうなるのかを追い続ける責任があるというのだ。その一言で、今まで抱えていたもやもやが一気に晴れたような気がした。
新聞はインターネットという暗闇の中に入った。そのことは拙著の中で示したつもりだ。しかし出口はどこなんだ。出口が見えるまで問題を追い続けるべきではないのか。中途半端な仕事ではだめなんだ。やり遂げる責任があるんだ、という思いが強くなった。
とはいうものの、自分一人で出口を見つけ出す自信はない。そんなとき、やはり濱田さんが久米信行さんというネットの達人に引き合わせてくれた。久米さんからは「メール道」というご著書いただき、そのエッセンスである「ギブ・アンド・ギブ・アンド・ギブン」という心構えを教えていただいた。情報は、出して、出して、出し続ける。見返りを期待せずに出し続ける。そうすれば、自然と情報が集まるようになる、というのだ。
今後は、自分のIT取材の中で得た、新聞業界に関係するような技術情報を、どんどんこの場で発表していこうと思う。メールマガジンも発行しよう。これまで新聞社さんに呼ばれてこの演題で講演させていただいたが、その際に名刺交換させていただいた人を中心に、このブログのことをお知らせしよう。書評や感想を書いていただいたネットユーザーにもお知らせしたいと思う。そして、草の根ジャーナリズムと報道機関が融合する新しい報道の形とはどのようなものになるのか、みんなで考えるブログにしたいと思う。