読者と記者の境界線をなくせ |
▼新潟日報の斬新な取り組み
新潟が2005年末に大雪で大停電となった際に、新潟日報は同紙のニュースサイト上に読者からの情報提供のページを設けた。パソコンや携帯電話メールを通じて送られてくる読者からの停電に関する情報をそのまま掲載したのだ。実はこれは新聞業界にとって非常に画期的なことだと思っている。
この読者からの情報提供のページには、「10:42 新潟市亀田 信号停止してます」から始まって、「11:09 北越2号金沢行き新津と古津の間で停車中、代行バスを待ってます。代行バスは渋滞でいつなるかわかりません」「11:15 胎内市では、瞬間停電が発生してますが現在は、復電しています。今日は新潟大学の全講義が休講になりました」「15:00 新潟市粟山今電気つきました。うれしいです」「20:31 新潟市松浜。通電して約1時間30分。電気の大切さを痛感。復旧作業中の方々、まだ停電中の方、頑張ってください!」など、約600件の情報が寄せられている。
徳島新聞の元記者で著名ブログ「ガ島通信」を運営する藤代裕之さんは、「新潟停電、新潟日報が読者の声を紹介」というエントリーでこの件を次のように紹介している。
昨年の中越地震の後に、新聞社の記者やメディア担当者(新潟日報ではありません)と話したときに問題になったのは、「読者の情報をそのまま掲載することなんて出来ない」「その情報が正しいかどうか誰が判断するのだ」という議論ばかりでした。1年でずいぶん進んだなと思います。
わたしも同じような感想を持った。わたしはこれまで多くの新聞社の関係者と意見交換してきた。ほとんどすべての国内の大手、中堅新聞社の関係者と議論したことがあるといっても間違いではないと思う。
その中で、ニュースサイトに掲示板をもうけるべきかどうかという議論を報道関係者とすると必ず出る意見がある。「報道機関の発信する情報と混同されるのではないか」「コメント欄の情報に報道機関として責任を持てない」「コメントを報道機関が発信する情報と勘違いされ、訴えられることはないだろうか」・・・。必ずといっていいほどこのような意見が矢継ぎ早に出て、最終的にはニュースサイトに掲示板を設けるべきではない、という結論になる。こういう展開を今まで何度みてきたことだろう。
新潟日報は読者からの情報提供のページに「このページは投稿者からの情報をそのまま掲載しています。ご理解の上、ご利用ください」と掲載している。この但し書き一文だけで十分だと思う。これだけで、報道機関の記事と一般読者からのコメントを混同する人はいない。業界関係者以外の人なら、だれしもそう思うだろう。
報道関係者の感覚は、それほどまでに一般的な感覚とずれているのだ。プロの発信する情報と素人の情報を同列に扱って欲しくないという、屈折した変なプライドが根底にあるのかもしれない。勇気を持って一歩踏み出した新潟日報に敬意を表したい。
▼既存メディアにはないより柔軟な発想
報道機関以外のニュースサイトの発想は、当然ながらより柔軟だ。第2章で紹介した米国のトピックス・ドット・ネットは、2005年10月からブログのエントリーを情報ソースとして取り込んでいる。約1万2000の商業メディアなどからの情報ソースに、約1万5000のブログを情報ソースとして追加したのだ。トピックス・ドット・ネットは、商業メディアの記事も、ブログのエントリーも同格に扱う考え。ただ商業メディアの記事かブログのエントリーかが一目で分かるように表示方法に気をつけているという。
日本でも技術系のニュースサイトはコメントやトラックバックを早くから受け付けるなど、読者からの情報の取り込みに熱心だ。ポータルサイトも、ニュースの記事にコメントやトラックバックを受け付けようとするところが増えている。
2005年の衆議院選挙の際に「グリップブログ」といブログが、政党の党首などに果敢に取材を申し込み注目注目を集めた。このブログを運営する泉あいさんは、取材の企画段階からそのプロセスをブログ上で公開した。アポ取りなどの様子も公開しており、取材相手に聞いてもらいたい質問を泉さんに前もって送っておくことも可能だ。
拙著「ネットは新聞を殺すのか」の中でも紹介したが、米国のブログブームの火付け役の一人、デーブ・ワイナーさんに、これからの報道機関の形はどうあるべきかを聞いたことがある。ワイナーさんは、もし自分が新聞経営者なら次のようにする、と語ってくれた。
まず記者全員にブログを開 設するように命じます。それから読者にもブログを開設するように勧めます。エディターに記者と読者のブログの両方を読ませ、エディターのブログ上で面白いニュースへリンクを張らせるようにします。記者の情報、読者の情報は問いません。重要な方、面白い方の情報にリンクを張るわけです。読者と同じ程度の情報量や分析力さえ持たない記者のブログにはリンクが張られなくなる。その記者は廃業です。読者が集めてこれない情報、オリジナルな視点、解説を提供できる記者だけが生き残れるのです。これが読者を巻き込んだ新しいタイプのジャーナリズムの形です。
エディターの役割は、図書館の司書や、タレントスカウトのようなものになるわけです。
今、米国の地方紙の多くは財政難で地元の市議会の動きをカバーしきれていない。そういうところは一般読者に情報を集めてもらいブログで情報を発信してもらえばいい。
もちろんその読者が政治的に右か左の傾向があるかもしれない。もし右の傾向があれば、左の読者が出てきてブログで市議会の動きを報じ始めるでしょう。あらゆる思想の持ち主が情報発信することで全体のバランスが保たれるようになるわけです。
別の言い方をすれば、編集権をコミュニティーの中に分散するわけです。コミュニティーのメンバーに地元政治や文化活動により積極的に参加してもらう。また一般大衆は、手軽に参加できる手段があれば参加したいとも思っているもんなんです。
一般大衆が政治に無関心だといわれるのは、どうせ自分の意見が政治に影響を与えることはないとあきらめているからです。本当は意見を言いたい。世の中を変えたいと切望しています。
単純労働を仕事にする人の中には知的な活動をしたい人も多い。一般大衆の中にはいい知識や知恵がたくさん埋もれているんです。
そうした市民の中のジャーナリストを増やすことで新聞社は情報の質と量を高めることができる。そしてそうなれば、ろくに仕事をしないプロの記者を解雇すればいい。
ブログを積極的に利用することは新聞社にとって非常にプラスになるはずです。もし新聞社がブログを利用しなかったとしても、ブログを使った大衆ジャーナリズムの動きは止まらないでしょう。コミュニティーのブログの中に新聞に代わる中心的な役割を果たすブログが幾つか誕生し、どこに有益な情報があるかを示すようになるでしょう。中心的な役割のブログ同士は常に競争関係にあり、1社や1人がその地方の情報の門番の役割を独占するという事態は終わるでしょう。
アマチュアのジャーナリストが影響力を持つようになるのは事実。でもプロのジャーナリストが生き残れないわけではない。もしプロのジャーナリストや報道機関が情報の門番として情報の経路を独占するという現状を改め、一般大衆に情報を発信する機会を積極的に与えれば、一般大衆は報道機関の仕事に対して引き続き代価を支払い続けるでしょう。
門番として情報を独占し、必要以上に問題を簡単な図式に置き換え、より多くの情報を必要とする読者に対しても十分な情報を与えないままでは、報道機関は一般大衆からよりかけ離れた存在になるでしょう。
わたしも新聞の未来の形は、こういったものに近いのではないかと考えている。
果たして日本の報道機関は、このような柔軟な発想を取り入れることができるのだろうか。
わたしはまず記者ブログから始めればいいと思っている。字数の制限で記事には書けなかったという情報の中で公開していいものは、どんどん公開すべきだろう。新聞記事はコンパクトに事実をまとめなければならないのなら、ブログで記者の人間味にあふれた文章を書けばいい。
第一線の取材記者は忙し過ぎてブログなど書いていられない。一件落着していないのに取材のプロセスを更改することなど無理・・・。いろいろな反論があるかと思う。
ちなみに韓国の朝鮮日報は、記者全員にブログを半ば強制的に持たせている。朝鮮日報のイム・ジョンウク記者によると、中には、いやいやブログを続けている記者もいるようだ。ブログのエントリーが原因の名誉毀損の裁判も幾つかあるようだが、あくまでもブログを書いた記者本人の責任になり、基本的に新聞社は関与しない方針らしい。また朝鮮日報では読者向けのブログホスティングも運営している。読者ブログの中には朝鮮日報に批判的なエントリーばかりを書いているものもあるようだが、イム記者は「朝鮮日報に批判的なエントリーはキラー(目玉)コンテンツになっている」と笑う。
日本の報道機関が一足飛びにそこまでいけるとは思えないので、まず編集委員、論説委員クラスがブログを始めてはどうかと思う。
とにかくどういう形がいいのか、日本という文化風土に合ったものなのか、試行錯誤を続けるしかないと思う、記者と読者の境界線のない新しいジャーナリズムの形を目指して。
脚注:新潟日報の停電に関する読者からの情報を集めたページ「新潟県内大停電」
http://www.niigata-nippo.co.jp/teiden/teiden.html
ガ島通信「新潟停電、新潟日報が読者の声を紹介」
http://d.hatena.ne.jp/gatonews/20051222/1135231879
著者注:本として出版するための原稿ですが、未完成なものです。間違いの指摘やご意見をいただければ幸いです。「過去エントリをそのまま記録として残すべきだ」「細かな修正を加えるたびにPINGが飛び、RSSリーダーにほぼ同じ原稿が表示されるので困る」などという意見をいただきましたので、ご意見、ご指摘をいただいても、エントリ自体を修正しないことにしています。ですが、建設的なご指摘、ご意見は、最終原稿に必ず反映させるつもりです。繰り返しになりますが、本エントリは未完成原稿です。引用を希望される場合は、脚注にある原典に当たられることをお勧めします。
参考「本を書きます」

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