新聞「牛丼論」 |
吉野屋、松屋と牛丼はいろいろあるが、味は微妙に違う。吉野屋の牛丼が好きな人もいるし、松屋の牛丼でなければだめ、という人もいる。だが食材は、肉、玉ねぎ、ご飯、とだいたいどこも同じ。味で牛丼を選ぶのだが、お腹をいっぱいにしてくれるのは調味料ではなく、ご飯などの食材だ。店舗があちらこちらにあって便利だし、注文すればすぐに牛丼が出る、というサービスもいい。そうした便利さ、サービスも含めての、お代300円ということだ。
新聞も朝日、読売、毎日、産経と、論調は微妙に違うものの、テレビ欄など同じ情報も結構載っている。広告のチラシが好きという読者も多い。そうした総合的な情報のパッケージが毎朝、家に届けられるというサービスがいい、という意見もある。実際、宅配がなくなり、すべて売店売りになった場合、新聞は今の発行部数を維持できるだろうか。
「新聞を牛丼に例えるな」と誇り高き新聞記者からしかられそうだが、要は新聞も牛丼もサービスまで含めたパッケージに価値がある、ということだ、
ところがインターネットは、そのパッケージをばらばらにしてしまう。情報はそれぞれ独立し、リンク1つで自由自在につながる。ニュース、テレビ欄、家庭欄などの情報をパッケージとしてまとめ上げる意味がないわけだ。
ご飯、玉ねぎ、肉の販売はそれぞれ専門の業者が行うようになり、牛丼屋は秘伝のだし醤油だけを販売するようになるようなものだ。「うちのだし醤油は味が違う。ほかには真似できません」と胸を張っても、だし醤油で今まで通り「300円」というわけにはいかない。同様に、いいニュースだからといって、それだけでニュースサイトが黒字化するわけはない。
儲からない日が続くと、牛丼屋はだし醤油の値上げという手に出るかもしれない。ますますもって庶民の手に届かなくなる。
一部新聞社が検討しているニュースの有料化はこれと同じことではなかろうか。
パッケージというこれまでのビジネスモデルが通用しないネットの世界。新しいビジネスモデルをいち早く構築しないと、商業ジャーナリズムがネット上から部分的に撤退することはあっても、形成されつつある新しい言論空間に積極的に参加してくることはない。
ジャーナリズムを守り、発展させるためには、報道機関の新しいビジネスモデルの構築が何よりも重要である、とわたしが主張する理由はここにある。
このブログ上での議論を通じて、新しいビジネスモデル考案の一助になりたい。それがわたしの願いである。