2004年 09月 07日
ブログを積極活用する朝鮮日報 |
以前「朝鮮日報がブログ」という書き込みの中で、「韓国の動きは非常に面白いのだけど、言語の壁があって思うように情報収集できない。今回の件も直接確認できないのだけれど、どなたかもっと情報をお持ちの方いらっしゃいますか?」と呼びかけた。早速、読者の1人から情報が寄せられた。その方が、同新聞社の記者ブログプロジェクトの仕掛け人の1人と友人だというのだ。ということで、デジタル朝鮮日報インターネット企画運営部長のイム・ジョンウクさんとの電話取材が実現した。
イムさんによると、朝鮮日報が同紙のサイト上でブログコーナーを設けたのは8月9日のこと。同紙の約300人の記者を始め、登録さえすれば一般市民も同サイト上でブログを開設できる。
イムさんによると、韓国の新聞は全般的にネット事業に前向きで、1年前からサイト上にブログコーナーを設けている新聞社も数社あるという。ただコーナーは設けてあるものの、その取り組み方は朝鮮日報ほど積極的ではなさそうだ。
朝鮮日報は、記者が書く記事にはすべて、これまでも署名と電子メールアドレスを記載していたが、電子メールの代わりにブログのマークを記載することにした。そこをクリックすれば記者のブログにジャンプされるようになっている。
またすべての記者に対し強制的ではないものの、ブログを開設するよう非常に強く働きかけたようだ。これに対し同紙の労働組合から反発が起こったという。ブログは日記のようなもの。それを半強制的に書かせるのはプライバシーの侵害になるのではないか、という意見が出た。読者が正規の記事とブログの記事との違いを認識せずに、ブログに書かれてあることを朝鮮日報の社説や主張と勘違いするのではないか、という意見も出た。
朝鮮日報がブログに取り組もうとした理由は主に2つ。1つは、ブログを通じてスター記者を育てること。スター記者をどれだけ多く抱えるかが、これからの新聞社間の競争の勝敗を決めるという考え方だ。
もう1つは、ブログを通じて読者とのコミュニケーションを深めたいということ。これまでにも電子掲示板などを読者とのコミュニケーションの道具にしてきたが、ブログの方がより建設的な意見交換ができると考えたという。以前にも書いたが、このブログの特徴についてわたしも同感だ。
実際にブログを始めて約1カ月。記者の過半数は、積極的にブログを書き続けている。その半面、ほとんど更新していない記者もいるという。
一方、同紙のサイト上で開設された読者のブログは数千に上った。ブログはトラックバックなど横の連携機能に優れているので、別のサイトでブログを開設してもいいのだが、朝鮮日報のサイト上でブログを開設したいと思う読者が多くいるらしい。朝鮮日報も、記事の下にブログのマークを表示し、それをクリックすればその記事に対するコメントなどが書かれた同サイト上のブログを一覧できる機能を用意するなど、朝鮮日報の読者コミュニティーの形成を目指している。
読者ブロガーの中には朝鮮日報に批判的な書き込みをする人もいる。イムさんは「もっと多くの読者が朝鮮日報に批判的なブログを開設してくれるのではないかと期待していた。朝鮮日報に批判的なブログは非常におもしろい。人気のコンテンツです」と語る。日本の報道機関は議論が荒れることを恐れてブログに乗り出さないところが多いが、朝鮮日報は批判的なコメントを歓迎しているようだ。
朝鮮日報としては、記者に対しブログに関するガイドラインを特に設けていない。記者一人ひとりの良識に任せているという。これまでのところ、共同ブログ騒動のような事件は発生していないが、イムさんは「記者が読者とのやりとりの中で試行錯誤を続け、ネット上のコミュニケーションのノウハウを身につけていってくれればと思う」と語っている。
さてネット先進国、韓国で試されている記者ブログ、日本でもやがて一般的になるのだろうか。
気をつけなければならないのは、日本の多くの報道機関と朝鮮日報の間には大きな違いが存在するということ。朝鮮日報の記者にとって、メールアドレスをブログアドレスに変えることにそれほど大きな抵抗はないだろう。翻って日本の報道機関の多くは、記事に署名も電子メールアドレスも記載しない。署名やメールアドレスを飛び越えて、記者ブログが始まるとは考えにくい。
それに朝鮮日報にはスター記者を育てたいという思いがある。日本でも同様の主張をする業界関係者はいるが、一般的には新聞記者はチームワークを重視する。個人プレーはあまり評価されない。敏腕記者で鳴らした某新聞社の部長が退社した際に、その社の幹部に「大きな損失ですね」と話を振ってみた。その幹部は「ぜーんぜん。優秀な記者は次々と登場してくる」と語っていた。敏腕記者が現場に居座れば後進が育たないというのも、よく聞く話だ。
ただ取材競争の一戦から少し離れた場所で署名記事を書く編集委員と呼ばれるクラスの記者がいる。編集委員がブログを始めるという可能性はある。事実、共同通信の編集委員室がブログを始めている。
このように日本で記者ブログが近い将来、一般的になるとは考えにくい。しかし、読者とのコミュニケーションを深めたいという姿勢と、そのノウハウを試行錯誤でつかんでいくというチャレンジ精神は、日本の報道機関もぜひ学んでいただきたいものだ。
ある新聞関係者のブログ「ガ島通信」が指摘するように、共同ブログ騒動の原因は小池編集長がネット上のコミュニケーションに慣れていなかったからと思われる。
一方的な主張の書きっ放しに馴れ過ぎてしまった記者は、共同ブログ騒動のような体験を通じて読者とのコミュニケーションの仕方を学び取っていただくしかないように思う。これはわたし自身に対しても当てはまることである。
批判を怖がらずに読者との会話に挑戦する。そこから参加型ジャーナリズムが始まるのだと思う。
イムさんによると、朝鮮日報が同紙のサイト上でブログコーナーを設けたのは8月9日のこと。同紙の約300人の記者を始め、登録さえすれば一般市民も同サイト上でブログを開設できる。
イムさんによると、韓国の新聞は全般的にネット事業に前向きで、1年前からサイト上にブログコーナーを設けている新聞社も数社あるという。ただコーナーは設けてあるものの、その取り組み方は朝鮮日報ほど積極的ではなさそうだ。
朝鮮日報は、記者が書く記事にはすべて、これまでも署名と電子メールアドレスを記載していたが、電子メールの代わりにブログのマークを記載することにした。そこをクリックすれば記者のブログにジャンプされるようになっている。
またすべての記者に対し強制的ではないものの、ブログを開設するよう非常に強く働きかけたようだ。これに対し同紙の労働組合から反発が起こったという。ブログは日記のようなもの。それを半強制的に書かせるのはプライバシーの侵害になるのではないか、という意見が出た。読者が正規の記事とブログの記事との違いを認識せずに、ブログに書かれてあることを朝鮮日報の社説や主張と勘違いするのではないか、という意見も出た。
朝鮮日報がブログに取り組もうとした理由は主に2つ。1つは、ブログを通じてスター記者を育てること。スター記者をどれだけ多く抱えるかが、これからの新聞社間の競争の勝敗を決めるという考え方だ。
もう1つは、ブログを通じて読者とのコミュニケーションを深めたいということ。これまでにも電子掲示板などを読者とのコミュニケーションの道具にしてきたが、ブログの方がより建設的な意見交換ができると考えたという。以前にも書いたが、このブログの特徴についてわたしも同感だ。
実際にブログを始めて約1カ月。記者の過半数は、積極的にブログを書き続けている。その半面、ほとんど更新していない記者もいるという。
一方、同紙のサイト上で開設された読者のブログは数千に上った。ブログはトラックバックなど横の連携機能に優れているので、別のサイトでブログを開設してもいいのだが、朝鮮日報のサイト上でブログを開設したいと思う読者が多くいるらしい。朝鮮日報も、記事の下にブログのマークを表示し、それをクリックすればその記事に対するコメントなどが書かれた同サイト上のブログを一覧できる機能を用意するなど、朝鮮日報の読者コミュニティーの形成を目指している。
読者ブロガーの中には朝鮮日報に批判的な書き込みをする人もいる。イムさんは「もっと多くの読者が朝鮮日報に批判的なブログを開設してくれるのではないかと期待していた。朝鮮日報に批判的なブログは非常におもしろい。人気のコンテンツです」と語る。日本の報道機関は議論が荒れることを恐れてブログに乗り出さないところが多いが、朝鮮日報は批判的なコメントを歓迎しているようだ。
朝鮮日報としては、記者に対しブログに関するガイドラインを特に設けていない。記者一人ひとりの良識に任せているという。これまでのところ、共同ブログ騒動のような事件は発生していないが、イムさんは「記者が読者とのやりとりの中で試行錯誤を続け、ネット上のコミュニケーションのノウハウを身につけていってくれればと思う」と語っている。
さてネット先進国、韓国で試されている記者ブログ、日本でもやがて一般的になるのだろうか。
気をつけなければならないのは、日本の多くの報道機関と朝鮮日報の間には大きな違いが存在するということ。朝鮮日報の記者にとって、メールアドレスをブログアドレスに変えることにそれほど大きな抵抗はないだろう。翻って日本の報道機関の多くは、記事に署名も電子メールアドレスも記載しない。署名やメールアドレスを飛び越えて、記者ブログが始まるとは考えにくい。
それに朝鮮日報にはスター記者を育てたいという思いがある。日本でも同様の主張をする業界関係者はいるが、一般的には新聞記者はチームワークを重視する。個人プレーはあまり評価されない。敏腕記者で鳴らした某新聞社の部長が退社した際に、その社の幹部に「大きな損失ですね」と話を振ってみた。その幹部は「ぜーんぜん。優秀な記者は次々と登場してくる」と語っていた。敏腕記者が現場に居座れば後進が育たないというのも、よく聞く話だ。
ただ取材競争の一戦から少し離れた場所で署名記事を書く編集委員と呼ばれるクラスの記者がいる。編集委員がブログを始めるという可能性はある。事実、共同通信の編集委員室がブログを始めている。
このように日本で記者ブログが近い将来、一般的になるとは考えにくい。しかし、読者とのコミュニケーションを深めたいという姿勢と、そのノウハウを試行錯誤でつかんでいくというチャレンジ精神は、日本の報道機関もぜひ学んでいただきたいものだ。
ある新聞関係者のブログ「ガ島通信」が指摘するように、共同ブログ騒動の原因は小池編集長がネット上のコミュニケーションに慣れていなかったからと思われる。
共同通信編集員のブログ 署名で書く記者の「ニュース日記」問題は、記者が知らず知らずのうちに陥ってる立場が問題になったと考えています。簡単に言えば、記者は常に、誰かにものを申す立場であって、申される立場ではないと考えている(知らない間にそう思い込んでしまう)ということです。(中略)普通の人は、多分クレーム言ってもまともに請合ってくれないとあきらめちゃってるふしもある。本当は声なき声の中に批判やいろんな提言があるのに、市民と記者の立場があまりに離れすぎてて声が届かない。これは既存メディアがかかえる非常に大きな構造的問題だと私は考えています。もちろん改善すべき点ですが、現状はそうだということです。
一方的な主張の書きっ放しに馴れ過ぎてしまった記者は、共同ブログ騒動のような体験を通じて読者とのコミュニケーションの仕方を学び取っていただくしかないように思う。これはわたし自身に対しても当てはまることである。
批判を怖がらずに読者との会話に挑戦する。そこから参加型ジャーナリズムが始まるのだと思う。
by tsuruaki_yukawa
| 2004-09-07 21:35